いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

支援級に困る!<1>(自閉症児篇)<長女は支援級に進みました>

「通常級か、支援級か選ぶのは保護者だけれど・・・」(長女6歳6ヶ月、次女三女4歳5ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女が小学校に入学した。軽度知的障害と自閉症が診断されているため、支援級に通っている。支援級で長女はのびのびとできているようだし、先生たちも自閉症発達障害などに対する経験や知識が豊かな人もいれば、経験が少ない人もいるけれども、みなさん熱心に取り組んでくれている。僕らもこれまで家庭や療育でやってきたことを先生に伝えて、長女の小学校生活を充実させるチームを組んだような気持ちになっている。

 

長女が支援級に進むと言う話をすると、人によって反応がまちまちだ。教育関係の仕事をしている人でも、支援級に対してネガティブなイメージを持っている人もいるし、そうでない人もいる。保護者たちからも支援級に対して否定的な意見を聞くこともある。顔の見えないネットの意見であれば、より否定的な意見が見られるだろう。世界史などを紐解けば、障害児などに対する否定的な意見を抱くことがどのような思想性を示し、どのような政治形態となったか、そしてそれが現在の政治形態からどのように批判されているのかというのは分かることでもあるが、支援級に対してネガティブなイメージや否定的な意見を持つ人たちが極端な優生学上の見解に立脚した統治を望んでいるというわけでなく、ただただ、よく知らないために、知らないことを否定するとか、通常のルートとは違うことに対する不安が、否定的な意見となってしまうのだろう。

 

小学校入学に際して、通常級に行くことも可能だと言われた。小学校入学は子供の意見よりも、親の意見が強く反映されるため、支援級に通うことが適切な子供だとしても、親が通常級に通わせたいという希望を出した場合は、通常級に通うことになる。支援級は隔離政策でも差別的な配慮だとも思っていない僕としては、支援級を拒絶する理由もないため、当初から支援級を希望した。

 

長女は療育センターに定期的に通っている。療育センターで長女の発達などの段階などが診断される。長女の場合は、1歳半から療育を行なっているということもあって、保護者の僕らも長女の状態をこまめに観察し、できるだけ適切な療育ができるようにと、療育施設の方たちとも連携をとっている。その成果もあってか、入学前の診断では、長女は通常級に通ったとしても、学習面はさておき、生活面では同じ年の子どもと同等、あるいは同等以上の理解や認識ができていると言われた。学習面に関しては、思考力というよりも、やはり前々から指摘されている言語認識能力が低いということもあって、通常級ではついていけない可能性もあるということだった。長女の成長を頼もしく感じるとともに、これからの課題もいくつか見えてきた。言語認識以外は通常あるいはそれ以上になっているということを考えると、凸凹発達ならではのストレスや障害があるということでもある。これを長女が乗り越えていくための支援体制を作ることが僕らの役割だ。

 

長女の状態は、わかりやすく言えば、一見、なんの障害もない子に見える、ということだ。また、生活面だけを見れば、ちゃんとしている方になる。日々の行動だけなら、長女よりもよっぽど支援が必要に思える子どもたちが、なんの支援もない状態で過ごしている。たまに、長女が療育に通っていることや、手帳を持っていることを言うと、「うちの子はもっとひどい」と言って、暗に<だから、長女に障害はない>と示す方もいるけれども、僕からすれば、それは長女の障害の有無を示すものではなく、その方の子どもの障害の有無の指針にする論理にしか思えないのだが、まあ、この辺はデリケートな問題なのでニコニコとしながら、長女の言語認識の問題を説明している。

 

小学校の入学前診断に長女と行くと、支援級を担当する先生が小走りに近づいてきた。「本当に、支援級でいいんですね?」と言ってきた。その言葉は、言葉のまま、ただの確認として受け止めていいのか、それとも、そこにネガティブな意味合いを受け取ればいいのか僕にはちょっと分からないのだけれど、「ええ、支援級に行きます」とだけ答えた。さきほど書いたように、長女の障害特性か、あるいは療育における成果なのか、長女の場合は、一見したところ障害があるように思えない。また、支援級に通う発達障害で目立つのがADHDの症状が強い子どもだからなのか、多動や注意欠陥がほとんどない長女は他の支援を必要としている子と比べたときに、障害がない子どもに見えるのかもしれない。長女は授業中などに立ち歩きをすることもない。他害行為も、人の物をとってしまうようなこともない。基本的にはおだやかで、集中力もあり、運動などもできることから、通常級でもほとんどの日々を何事もなく過ごすタイプだろう。障害が見落とされることが多い障害と言うこともできる。私が子どもの頃であれば、まず支援級にいないだろうし、まあ、これはADHD系や学習障害のLDにしても、私が子どもの頃には支援などもなく、ただ問題児や学力が低い子どもとして放置されていた。

 

支援級に困る!<2>(自閉症児篇)に続きます。