支援級に困る!<1>(自閉症児篇)の続きです。
小学一年生になった長女は、支援級に入った。療育センターや小学校からは、通常級にも行けるという話ではあったけれども、最終的に通常級に行くことになったとしても、まずは長女のサポート体制が構築されることが大事だと思った。「繋がっておく」と僕ら夫婦ではよく言っている。障害児や多胎児を育てていてよく思うのは、こちらから「困っています」「助けてください」と言わないと、行政含めてあまり助けてくれないということだ。本当に困っている事態に陥っていると人は助けを求められないものだから、というよりも、助けを求められないから困った事態になっているのかもしれないけれど、その辺はさておき、障害児や多胎児であれば、国などによっても支援が必要だと認定されているのだから、まずは、助けが必要だ、あるいは助けが必要になるかもしれない、と子どもたちが関係する機関の人たちに伝え、「繋がって」置くことが、子どもたちだけでなく、保護者のためにもなる。
しかし、このような助けを不要とする人もいる。とくに、子どもに軽度であったとしても、発達障害などがあると認めたくない保護者や、支援級に行かせたくないと思う保護者は一定数いるもので、それが悪いかどうかの判断はあまりしたくないけれど、子育てする上での支援体制や繋がりが構築できないのは、子どもだけでなく、保護者もつらいのではないか、と思ってしまう。
困ったことがあった。
先日、妻の知り合いが子どもを連れて家に訪ねてきた。中学受験を考えているということで、妻も僕も教育の専門家でも、受験産業従事者でもないけれど、その方の友人たちよりは東京あるいは海外の大学について詳しいと思ったようで相談しに来た。いろいろと話を聞いたり、その子の言動を見ていると、僕にはどうにも、これは発達障害なのではないか? と思えるようになった。発達心理学の専門家、医師でもない僕には診断はできないが、たとえば、熱っぽいとか咳が出る、関節痛がすると言っている人に、「風邪ですか?」と言うよう感じで、「発達障害はあるんですか?」と聞いてみた。するとその保護者は、ちょっと不満そうにしながら、過去と現在のその子に対して言われたことを説明してくれた。
どうやら、その子は、幼稚園に通っているときに、担任の先生から発達障害があると言われたそうだ。小学校は支援級を勧められたらしい。しかし、お母さんが頑なに認めなかったらしく、幼稚園で揉めて、幼稚園が専門家を呼び、1日だけ観察してもらったら「障害があるかはよく分からない」という結果だった。そして幼稚園の園長が、きっと母親の頑なさに折れたからだと思うけれども、幼稚園側が「合理的配慮をする」という判断をしたらしい。名古屋のときに療育手帳を持っている長女に合理的配慮(拒否された合理的配慮の妥当性は、数ヶ月後、児童心理学の専門家と市役所職員が同席する話し合いの中で認められた)をしないと言った園長や主任と比べれば、この方が利用していた幼稚園はずいぶんと理解があるところだと思ったけれど、これはこれで、保護者の理解が歪んでしまったようでもある。
療育センターなどに行って診断を受けることはなく、大病院に行き、「うちでは診断はできません」と言われたことを、発達障害を含めた障害はない診断が出た、と思っているようだった。きっと、保護者の方にもなんらかの発達障害があるのだろう。理性的、論理的判断ができているとは思えなかった。療育センターなどには行かなかったらしい。これは僕の推論だけれど、きっと、自分の子どもに発達障害があることを認めたくなかったのだろう。子どもの障害を認めたくないという話は、それこそ自閉症児を育てる漫画などにもよく出てくる典型的な反応でもある。この保護者に特殊なことではない。