いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

息抜きに困る!<中>(ボストン篇)<息抜きの散歩も飽きる>

息抜きに困る!<上>(ボストン篇)の続きです。

 

慣れない海外生活だからなのか、それとも慣れない育児だからなのか、気が詰まるといいますか、息抜きが必要だなあと思うことが増えていた。ひとりで暮らしていた頃は、毎日が息抜きみたいなものだったのか、息抜きが必要とか癒されたいという人の気持ちが分からないでいたけれど、ボストンで育児をする僕は、息抜きが必要だったし、癒されたいとよく思っていた。しかし、そんな僕にできる息抜きや癒しは散歩くらいしかなかった。

 

困ったことがあった。

 

僕の散歩欲を妻に伝えると、週に一度、木曜日だけは、一人で好きに散歩をしていいと言われた。

 

いろんな場所に行ってみた。しかし、これもまた、数ヶ月とやっていると次第に飽きる。一人で散歩をするにしても、徒歩と自転車だけでは限度がある。野球場やら開発地区やら、有名大学やらを見て回ってずいぶん地理には明るくなったけれども、なんだか飽きた。散歩は散歩が目的なはずなのに、目的のない散歩に飽きてしまうというのはどういうことなのだろうか。

 

そんな感じで、ボストンでの育児の気晴らしも行き詰まり、ちょっと育児鬱になっていた頃、カナダ人のパパ友ができた。

 

彼はとんでもないくらい男前で、それでいて気さく。お互いに本が好きというのもあって、詩人の話などをして仲良くなった。彼も妻の仕事でボストンに来ていて、育児がメインということだった。僕らの会話は奇妙なもので、英語とフランス語が混じったような会話だった。彼の場合は、家族のほとんどがフランス語を話せるのに自分は話せない。だから育児の傍らフランス語を勉強し始めたということだった。僕は僕で、なぜか妙な縁で若い時にフランス語を勉強することになって、ラジオフランス語を熱心に聞いて三年ほど勉強したことがあったため、日常会話くらいはできるようになっていた。ラジオフランス語の独学ではちょっと不安というのもおかしいけれど、ちょっと学校みたいなのも行ってみようと思って、フランス語学校に行ってみたら、なんだか褒められた。教師とは気がついたらフランス語で話していて、同じクラスの人に後で、どこでフランス語を覚えたのかと聞かれて、ラジオなんだけれど、とちょっと照れながら答えた。そこでの僕のあだ名は、ラハディオになった。

 

ちなみに、フランス語はその後15年以上あまり使う機会がなかったため、ほとんど忘れてしまった。

 

彼の家に遊びに行くと、小さい子供が二人いるということもあって、散らかり放題。恥ずかしそうにしているけれど、武士は相身互いという言葉があるように、育児は相身互いというもので、散らかり放題の彼らの部屋が好ましかった。フランス語を勉強中だけあって、いろんな場所にフランス語の付箋が貼ってあった。懐かしくなって読み上げると、彼も照れていた。外国語の学習というのはなぜか照れ臭い。

 

パパ友同士で気晴らしに飲むというわけにもいかず、互いに育児で大変だねえみたいな話をしながら、だんだんと共通の趣味である詩や戯曲の話になった。小説の話はあまりしなかった。小説になると込み入った話になるからか、二人の言語では散文的な説明はなかなかできないというのがあったのかもしれない。

 

彼の気晴らしは、たまにポエトリーリーディングや演劇を見に行くことだということだった。なんて素晴らしい気晴らしだ。僕もそれに行きたいと思った。

 

ネットで調べてみると、近いうちに、そして近くの劇場で演劇があるらしい。それに行こうということになった。ポエトリーリーディングにも行きたかったけれど、1日しかやっていないイベントが多くて、予定調整が難しかった。もちろん、僕の予定ではなく妻の予定だ。

 

ポエトリーリーディングはまた今度にしようと約束したけれど、そのあと、僕の方に双子が生まれてしまい、夜に家を出るなんてことはまず不可能になってしまったというより、双子の世話と帰国の準備でポエトリーのことなど忘れてしまった。頭の中は、ポエトリーよりも、pottyでいっぱいだった。

 

息抜きに困る!<下>(ボストン篇)に続きます。