いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

望郷に困る!<1>(ボストン篇)「異国の地で育児ノイローゼになった」

「日本に帰りたいとよく思っていた」(長女1歳1ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女が生まれて五ヶ月くらいで渡米することになった。もちろん、妊娠中、いや、妊娠前から妻の渡米についていくことは決まっていたというのもあるから、渡米前に子供が生まれることになった、というのが適切な言い方になるのかもしれない。

 

乳児を見知らぬ土地で育てる、ましてや異国の地で育てるということは、ちょっと大変だろうと思っていたけれども、僕も妻もそんなに若くないというのもあったし、アメリカで妊娠出産というのも、それはそれで大変だと思ったというのもあって、計画的かどうかはちょっとなんて言えばいいのか分からないけれど、子供を産むのであれば、渡米前の方がいい、できれば、産後も一緒に渡米できる月齢くらいにはなっていてほしいとか考えていたら、その通りになった。

 

妊娠時期の計画などを話し合うのは、当たり前だけれど妊娠する前の話だ。実際に、子供を育ててみないと分からない困難さのことなどはあまり考えていない。産後、はじめての乳児の育児に翻弄されて、日本で育てるのだって大変だとか思いながら、僕は僕で仕事があまり休めないというのがあって、妻に申し訳ない思いをさせながらも、渡米をしたら育児がメインになるから、と言い訳をしながら、渡米中の飛行機の中でも仕事をしていた。

 

ボストンについて、しばらくすると、僕の日本でやり残した仕事はほぼ終わり、帰国までの二年間はあまり仕事をしないというような計画にしていた。アメリカでは育児に専念する、という気持ちだった。そんな中、ちょくちょくと仕事のメールやら相談やらはあったりして、週一くらいでは仕事をしていたような気がするけれども、数ヶ月もするとそんな仕事のメールも減り、つまり、僕がいなくても、それまで僕がやっていた仕事というのは問題なくまわっている。週一が月一になり、次第に相談されることも減っていった。育児に翻弄されている僕からすれば、よかったよかった、という話でもあるのだけれども、ちょっと寂しいような気もした。

 

ボストンでの生活も落ち着いてきた頃、糖尿病の治療にも本格的に取り組んでいたからかどうなのか、僕の心の健康がちょっとおかしくなってきた。妻からは、ストイックすぎる食事制限や育児に専念しすぎるせいで、追い詰められてしまったのではないか、と指摘された。しかし、自分ではどうにもならない。糖尿病治療はうまくいっていて、血糖値なども順調に下がっている。体重は30kg以上落ちた。身長180cmで95kgあったのに、ひどいときで60kg近くになってしまった。どんな感じかというと、それまで履いていたズボンがずり落ちるレベル。ウエスト36インチがウエスト30インチ以下でもゆるくなるくらいの変化だった。体重が軽くなっているから、体も軽くなって調子がいいように思えるかもしれないけれども、そんなこともなく、起きるといつも疲れを感じていた。糖尿病の症状に倦怠感というのがあるらしい。僕の場合は、血糖値がガンガン高かった治療前の方が元気で、治療後のいわゆる健康的と言われるような血糖値やヘモグロビンの数値になってからの方が疲れが酷かった。

 

日本での仕事も終わり、アメリカに来てみると、僕には仕事がない。もちろん、少しくらいはあったけれども、週に一度あるかないかの仕事で、当然ながら、お手伝いの範囲でしかない。お手伝いの範囲での仕事だと、相談というより、利用されているに近い感覚となる。そう、僕のアイディアなどが知らないうちに相談相手のアイディアになっていたりする。疑心暗鬼みたいな気持ちにもなった。こういうときにSNSはよくない、相談相手が、自分のアイディアのように僕のアイディアのことを書いていたりするのを見たりして、普段であれば多少の盗用やパクリを気にしない僕でも、なんだかもやもやするものを感じたりしていた。つまり、僕の心の状態がよくないということだった。

 

そして育児。泣き止まない、育てにくい子と言われる要素が多分にあった長女とずっと一緒に2人でいることに辛さを覚える日が増えていった。僕は日増しに、育児ノイローゼと言われるような状態になっていった。友人からは、「育児はみんな大変だよ」という励ましなのか、批判なのか分からない言葉を聞いて、悪い方にしか考えられなかった。ダメ押しは、異国の地、知り合いも誰1人いないような、異なる言語、異なる文化の場所にいるということだった。

 

望郷に困る!<2>(ボストン篇)に続きます。