いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

大変さに困る!<3>(ボストン篇)<誰だって大変ということになってしまう>

大変さに困る!<2>(ボストン篇)の続きです。

 

育児の大変さの中に、独り身の大変さという問題が出されてしまった。それはそれで大変なものはあるけれど、そうなってくるとなんでも大変という話にもなってしまう。さてどうしたものかとまた考えなくていいようなことを考えることになってしまった。

 

困ったことがあった。

 

 

友人が主張する独り者の大変さというものを考えてみると、家族、家庭を持つのが当たり前という社会通念みたいなものからの圧迫、ハラスメントというのがある。これはこれで大変なことだ。僕の育児ブログがそういうハラスメントを行っていると言われてしまうと、謝るしかない。言い訳のようだけれども、僕が育児について書くことは、育児をするのが当たり前とかそんな暴論を主張するために書いているのではなくて、それこそ、「生きるのは大変」という中で、洗濯一つ、雨具一つで困っている僕が、育児でも困っているという話に過ぎない。

 

僕の友人は、男性が多い。そのため、社会問題として言われるような出産強要のハラスメントという事情とは少し違っていた。友人男性の場合は、精神的な大変さは子供関係のことではなく、生活をしていくことで大変だと言うことがあって、それは家事に対する大変さというものだった。掃除洗濯食事ゴミ捨て、休日になるとこれらをしなくてはならないから大変というわけだ。もちろんちょっと待てよ、という話でもある。言われてみれば、僕も独り身のときには、休みの日に大量の洗濯物を抱えてコインランドリーに行っていたし、掃除などもしていた。これを大変だと言われればそうかもしれない。ただ、主夫的業務が多い僕の場合は、家事は独り身のときより作業量としては大変になっている。休日にしかやらなかった洗濯や掃除は毎日やっているというだけだ。そして休日は幼い子供たちに邪魔をされてしまうので家事は滞る。最近は、お片付けのお手伝いをしてくれるようになった、子供部屋限定だけれど。

 

しかし、こう考えてみると、独り身で家事をやらない、家事をお母さんあるいはお父さんもしかしたら兄弟姉妹や、お爺さんお婆さん、はたまたハウスキーパーさんにやってもらっていた人にとっては、家事をやらなければならないということは、大変になってしまうのかもしれない。主観的な大変さだ。この大変さを訴える人に対して、頭ごなしに叱っても、そもそも大変だと思う尺度が違うのだから話は通じない。ここは生温かく見守るしかない。一言でいえば、そうか、ちょっとお子様なのかと思う。いい歳こいてお子様メンタルでいることは確かに大変だと思う。同時に、友人を見ながら、これだから結婚できないのか、と少し問題発言のような感想を持ってしまったりもする。パートナーのことを家政婦だと思っている問題というやつだろう。

 

僕の友人の話を出してしまうと、ますますわかりやすい大変さのマウント合戦みたいになってしまった。そういう話じゃないのに、このそれぞれの大変さの話をしようとすると、こういう大変さの区別が大変さの差別みたいになってしまって、話がずれてしまうような気がする。

 

話を育児に戻そう。

 

僕の育児環境は、多くの人から、大変だと思ってもらえることが多い。その分、「育児は大変」という「生きるのは大変」的な区別のない大変さの中に放り込まれてしまうとなんだかちょっと違和感がある。それに、こういう「みんな育児は大変」ということが言われるときは、決まって、僕が育児に対してへこたれていたり、育児を理由に仕事を断るときに言われるのだから、僕は僕でマウント合戦に応じてしまうことにもなる。専守防衛みたいな気持ちだ。で、例によってぼんやりとした感想に対して、詰将棋をするようにさまざまな事例や客観的判断基準などを提示してしまうものだから、相手が黙ってしまう。こんなことはしたくないとか言いながら、元来議論が好きなものだから、つい楽しくなってやってしまう。

 

長女が障害児であることから、育児が大変である、と言っても、健常児の育児が大変ではないと言っているわけではない。

 

次女三女が多胎児であることから、育児が大変である、と言っても、1人の育児が大変ではないと言っているわけではない。

 

育児は大変なのだ。ちょっと目を離せば命にかかる生物の世話をすることは大変だ。それは動物でも植物でも同じかもしれないし、あるいは、繊細な物なども不可逆性の世界においては世話や扱いは大変だ。覆水盆に返らずという諺が、フクスイ氏がお盆に実家に帰らないという意味ではないことは改めて言う必要もないくらい、不可逆な世界において、取り返しのつかないことをしてしまったらどうしようという大変さはある。これを不可逆の大変さといって良いかもしれない。

 

そして赤ちゃんには人権がある。不可逆な事故は殺人などの罪に事件になることもある。このことからも、育児の大変さは、生活の中にある大変さとは区別できるようにも思う。洗濯物を放置して、そこに発火性の恐れのある汚れがあって家事を怠ったために火事になってしまりしたら、それだって不可逆な事故につながる、だから育児だけが特権的な大変さを有しているわけではない、という理屈もあるかもしれないが、これはもうそういった主張をする時点で、事故であり事件的な何かを孕んでいるかもしれない。

 

大変さに困る!<4>(ボストン篇)に続きます。