いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

息抜きに困る!<上>(ボストン篇)<育児は息抜きも難しい>

「ボストン育児での息抜き」(長女1歳8ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

妻の仕事でボストンに行ったということもあって、妻には用事もあれば仕事もあるけれど、僕にはとくに用事も仕事もない。やることは育児だけだった。それに英語もそんなにできない。

 

ボストンでもどこでもいいけれど、仕事も関係なく海外に住むというと、いいなあ、と言われる。もちろん、僕も誰かが海外に住むと言ったら、よく考えもせずに、いいなあ、というだろう。何がいいのか分からないけど、海外で住むのは、いいような気もする。

 

何がいいのだろうか。

 

好奇心旺盛な人であれば、見知らぬ土地に住むことは楽しいというのがあるかもしれない。しかし、日本の中にも知らない場所はある。たまにテレビをつけていると、田舎暮らしとかポツンと一軒家みたいな番組がある。それを見ていても、これまたよく考えずに、いいなあ、とか思うことがある。しかし、実際に住んだら大変だろう。

 

ボストンなどの都心と日本の山間部は違うよ、と言われたら、それもそうだと思う。山間部の大変さは、交通の大変さにはじまり、何でも自分でやらなきゃならない大変さもあるのだから、都心で暮らすようにはいかないだろう。Amazonだって届けてくれないかもしれない。

 

そう考えると、海外の都心で暮らすことに対して、いいなあ、というのは、知らない土地で暮らす好奇心というよりも、なんだか名前も聞いたことがあるし、歴史もあるし、街並みも綺麗なところで暮らすということに、憧れみたいなものがあって、それでいいなあ、となるのだろう。

 

ボストンに行く前は、僕もそれなりに楽しみにしていた。英語にしても、ボストンで英語を勉強すればいいくらいに思っていた。それに歴史や地理が好きというのもあって、一度、アメリカに住んで、細々とした歴史の足跡を見てみたいというのもあった。ボストンに住んだら、きっと英語の勉強やら歴史探索やら、ブラタモリ的なことをして楽しく暮らすのだと、そう思っていた。

 

実際はそうはならなかった。

 

まずは育児だ。何をするにも乳児が障害になる。ボストンはそこそこ育児に寛容な場所というのもあるから、乳児をどこに連れて行っても嫌がられることはない。いやがられることはないにしても、乳児は、すぐに排泄するし、ミルクもあるし、寝かさないといけない。散歩が好きな僕は何時間でも歩いてしまうけれど、乳児を何時間も散歩に付き合わせるわけにもいかない。そうなると、近場を散歩するしかなくなる。

 

近場の散歩も最初は楽しいものだ。この公園は誰々から寄贈されたものか、誰々はアイルランド移民か、そういえば、苗字にMcとかO'とかそんな名前だな、とか思って、その場所はアイルランド移民が歴史的に多い場所だったのか、とか。日曜日の教会に集まる黒人たちの服があまりにかっこよくて、真っ青なスーツやドレスが妙に似合うのは肌の色と関係するのだろうか、と近場の散歩といってもいろんな発見がある。

 

そんな楽しい乳児を連れた散歩も二ヶ月もすれば飽きてくる。もう少し遠くに行きたいと思うようになる。歴史を調べていると、ボストンでは飽き足らず、マサチューセッツ州をめぐりたくなるし、ニューイングランド地方にも行きたい場所がいくつも出てきた。車でもあればすぐに行ったのかもしれないけれど、車の運転も不慣れなものだからビビって免許をとりに行く気も起きない。話は変わるけれど、こちらが赤信号で、車が青信号なのに、子供を連れていると、青信号なのに車を止めて、赤信号の僕らを渡らせようとする親切な人がボストンにはたびたびいた。これはこれで困る。いくら譲られているとはいえ、赤信号を渡るのは怖い。

 

息抜きに困る!<中>(ボストン篇)に続きます。