いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

望郷に困る!<3>(ボストン篇)<郷に入りては郷に従え、なのかもしれないけれど、、、>

望郷に困る!<2>(ボストン篇)の続きです。

 

ボストンでの育児ノイローゼはなかなか深刻だった。朝起きては「疲れた」と言っていた。子供のことを可愛いと思えなくなり、泣いている子を見ながら、不思議な生き物を見ているような気持ちになった。それでも、ミルクを作り続け、おむつを交換し、寝かしつけをしていた。夜中に何時間も抱っこをしながら、アパートの下の道路を通り過ぎる車があると少し嬉しい気持ちになっていた。「子供の夜泣きがおさまらないときには、夜中でも外を散歩するといいよ」と治安のいい日本人ならではのアドバイスをもらってりして苛立ったりもして、孤独というのはこういうものかもしれないとか思っていた。

 

困ったことがあった。

 

公園などで知り合う人たちも、アメリカ以外から来ている人が多くいた。逆にボストン育ちみたいな人にはあまり会わなかった。それは、僕が住んでいた地域が、ボストンから少しはみ出た郊外といわれる場所だったからかもしれない。サウスボストンなどの下町に行けば、下町らしい閉鎖性と排他性の中で余所者は肩身が狭い思いがもっとしたのかもしれない。

 

同じ都市とはいえ、余所者が住む地域、住みやすい地域というがあるのだろう。東京で言えば、西側だし、名古屋であれば東側、ボストンでいうと西側。余所者にとって厳しい地域は、下町と言われるところだと思う。もちろん、若くて独身だったりすれば、どこでも同じだと思う。家族、子供連れで住む場合というのがポイントだ。子供連れになると地域共同体と嫌でも関わることになるから、一つの都市といっても、その都市のどんな地域に住むのかというのが大切になると思う。余所者は余所者が集まる地域の方が互いの困っていることが似ているから助け合いがしやすい。例をあげれば、じいじばあばがいれば、子供のちょっとしたときに困らないこともあると思うけれど、三世帯ではない余所者は、保育園のちょっとしたイベントでも困ってしまう。三世帯前提の育児環境は余所者にはきつい地域ということになる。もちろん、自分も三世帯だったらそういう地域の方が住みやすいのだろう。

 

ボストンで孤独な思いをしながらも、妻の職場が関わっている無料英語教室のふれあいで助けてもらっていた。妻の職場は、アメリカ全土から、そして外国から関わる人も多く、彼らが住んでいる地域はボストンの西側であることが多かった。

 

そんなことから、ノイローゼになった僕でもいろいろと参加させてもらうことになった。

 

ボストンに住んで半年が経ち、ノイローゼであることを自覚した僕に、外に出ろ、と妻が言ってくれた。ノイローゼな僕は外に出ろと言われても、とやや反抗的な気分になりながらも、テキサスの人たちに会いに外に出ていた。11月になると、ボストンというかアメリカはちょっと浮かれてくる。サンクスギビングがあるし、ブラックフライデーがあるからかもしれない。アメリカの外から来た人たちにとっては馴染みのないイベントだ。

 

そうそう、僕は結構、ぼんやりしているので、帰国してから日本でもブラックフライデーというのがあることを知らなかった。ブラックフライデーアメリカにいるときにはじめて知った。または僕が帰国したあたりから日本でも大々的にやるようになったとか、そんなこともあるかもしれない。サンクスギビングについては、日本にいた頃から、大統領が七面鳥を逃すというニュースを毎年見ていた。なんだろう? と思っていた。

 

ノイローゼな僕も、サンクスギビングのイベントに誘われた。そのときもぼんやりしていたので、なんかパーティーの出欠席みたいなものを提出する際、家族がいるかと聞かれているとばかり思い込んで、妻と子供の名前を書いてしまった。ノイローゼみたいになっていると簡単なことでも理解ができていないことがある。しばらくして、あれは家族もパーティに参加するかどうか聞かれていたことに気がついて、あわてて、僕一人の参加になるというメールをしたけれど、パーティー当日になっても、僕の訂正メールについて返事がなかった。おどおどしながらパーティーに行った。

 

望郷に困る!<4>(ボストン篇)に続きます。