いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

クレーマーに困る!<一>(自閉症児篇)<僕はクレーマーになった>

「クレーマー扱いされている気がする、いやきっとそうだ」(長女5歳10ヶ月、双子3歳9ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

世の中にはクレーマーという人がいる。当たり前のことだけれども、クレーマーがいるということは、「あいつはクレーマーだ」という人がいるということにもなる。クレーマーの多くは自分がクレーマーだなんて思っていないから、クレーマーだとされてしまったらクレーマーになってしまう。

 

そういう意味で、僕はクレーマーだとは思っていなかったけれども、どうやら、僕にされている扱いを見ると、クレーマーとされている気がする。

 

この数ヶ月、ずっと市とやりとりしている。僕らからすれば正当な要求や指摘をしているつもりであるが、市の対応を見る限りは、どうやらクレーマーのように扱われているのではないか? というのは薄々と気がついていた。

 

で、僕の対応に困ってしまった市の中で庁内会議というのが行われた。

 

僕は僕で、庁内会議が開かれたということは、僕の指摘に真剣に取り組んでくれたのか! みたいなことはこれまでの市の対応から思うこともなく、というのも、今度こそ、と思うたびに、よりクレーマー的な扱いをうけることになったという経緯があるから、問題が解決に向かうことはないんだろうなあと思っていた。

 

庁内会議の結果、僕への対応は、顧問弁護士が行うことになった。完全にクレーマー扱いだ。さて、どうしてくれようかと思っていたら、顧問弁護士から手紙が来た。そこには、「強要の疑い」とあった。あ、これ、もうクレーマーに対して言うやつだ。きっと、もう僕は完全無欠のクレーマーということで市のお墨付きをもらったということなんだろう。

 

この手紙には面白いことがいくつも書いてある。そう、クレーマーを扱うような態度で書かれた文章なんだけれども、その内容を読むと、果たして僕はクレーマーなのか? と逆に頭をひねってしまった。完全無欠のクレーマー扱いするなら、きちんとクレーマーとして扱って欲しいというか、僕のメチャクチャな要求とか、常識はずれな行動とか、そう、窓口の机を叩いたりとか、市役所で喚いたりとか、なんだか、そんなクレーマーらしい行動が記載されていたら、もう僕は無意識の中で完全無欠なクレーマーだったのかもしれないけれども、窓ガラス叩き割ったり、市役所のエレベーターを乗り回したり、自販機の小銭入れにガムを詰め込んだりしたこともない。非常階段で喚き散らしたこともない。自転車もちゃんと駐輪場に停めている。たまにはみ出ている自転車を直したり、倒れている自転車を起こしたりもしている。礼儀正しくありたいと思っている。でもクレーマーになっている。

 

クレーマーの代表的な発言に、「市長を出せ」とか「課長を出せ」とかなんだか少し偉そうな人を無闇に呼ぶというのがあるけれども、これすら僕はしていない。ちょっと苦手なというか、いつも高圧的な職員さんがいて、その人だと話がまとまらないから、できれば他の人に対応してもらいたいとメールに書いたくらいだ。ちなみに、全く別の手続きのときにその人に対応してもらったときには、にこやかに手続きをした。その人もなんだかいつもの高圧な感じがなかった。きっと普段はいいやつなんだろうと思った。

 

だけど、僕はクレーマーだ。もしかしたら、こんなふうに礼儀正しいだけに、クレーマーの亜種として、気持ちの悪いクレーマーとして扱われているのかもしれない。確かに、あきらかにおかしい人なのにおかしくないように振る舞っている人は怖いかもしれないけれど、しかし考えてみたら、おかしくないように振る舞っているのであれば、もしかしたら、それはおかしくない人なのではないか、とも思う。

 

窓口で怒鳴るわけでもなく、職員を呼びつけにするわけでもなく、高圧的に接するわけでもなく、玄関で昼寝をするわけでもなく、縦に停めなきゃいけない駐輪場で横に停めたわけでもない。家まで来いとか、副市長を出せとか言ったことないし、お金なんかも一度も請求したことはない。それなのにどうしてクレーマーにされてしまうのか。

 

そう、僕には、こども時代から指摘されているおかしい部分がある。このおかしい部分は親も弟も、学校の先生たちや友人たちからもずっと指摘されてきた。妻は面白がっているけれども、僕のことを嫌う人はだいたいこの僕の癖というか性格にある、それはそれは、ちょっとおかしなところがあって、そのせいで人に嫌われることがある。

 

僕は異常に理屈っぽい。

 

この理屈っぽさによるトラブルは子供の頃から数えればキリがない。世の中には少々理屈が通らぬことや、なんとなくでやり過ごす場面があるけれども、それがなかなかできない。いつでもちょっとのことで、「それどう言う意味ですか?」「それだと理屈が通りません。その理屈であれば、こうなりますよね?」とか、「理屈が通らないとしたなら、例外的な状況だと思いますから、例外的な状況をできる限り説明していただいてもいいですか? 僕であればこのように定義しますが」とか、もうそんなことばかりやってしまう。夏休みの終わりらしい思い出話をすると、夏休みの宿題を出す理由を小学校三年生のときに教師に問い詰めて、納得できる理由が述べられなかったということで、小学校三年生の夏から宿題の提出を拒んだ。ちなみに、僕の家は狭すぎてそもそも宿題なんてできる環境じゃなかったというのもある。宿題に関しては、その後、高校卒業までほとんど提出することを拒絶した。どうにかなるものだ。大学のレポートは面白がって友人の分まで書いて提出したこともあったけれども。18歳から家を出ていたから、レポートをやれる場所があっただけかもしれない。そもそも勉強は大好きだった。

 

クレーマーに困る!<二>(自閉症児篇)に続きます。