いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

続・クレーマーに困る!<5>(自閉症児篇)<市役所とのやりとりで、利益を得ている人がいる>

続・クレーマーに困る!<4>(自閉症児篇)の続きです。

 

僕はいつの間にか、悪魔の証明に誘導されていたのかもしれない。相手が誠実で論理的な人であれば、僕をクレーマーとするからには、クレーマーである理由を示すだろう。しかし、市役所とその代理人は、僕がクレーマーであることを証明せずに、僕をクレーマーとし、僕が僕自身でクレーマーでないことを証明したとしても、市役所とその代理人が僕をクレーマーであるとする限りにおいて、僕はクレーマーではないと相手に認めさせることができない。これは、友人関係などでは起きることかもしれないし、友人関係はそもそも論理的な関係でもないことから考えれば、ある程度はしかたない。友人関係であれば、相手を尊重することからも相手の、そして自分の論理的な矛盾などを超えたところに関係を築くものだと思うし、それを友人というのだろう。

 

困ったことがあった。

 

行政と僕は友人ではない。僕をクレーマーとするのであれば、行政は僕をクレーマーとするだけの理由を挙げなければならないと僕は考えているが、行政からすれば、そんなことをする必要がないらしい。代理人も言っていたが、これ以上は裁判で、ということになる。とはいえ、裁判となると、そもそもの話になるけれど、僕はこの市の市民で、市に税金を支払っている、市役所の代理人は市から委託されているのだから、市から金銭を受け取っている。となると、これは邪推の類になってしまうけれど、もしかしたら、代理人は、裁判をすることでより報酬を得ようとしているのではないか、そしてその報酬の極々一部は、税金を納めている僕が支払っているようなものではないだろうか。

 

市と僕のやりとりで、唯一、利益を出しているのは、代理人となる。僕をクレーマーとすることで、しかも根拠もなくクレーマーとしながら、本来であれば簡単に解決できるような問題を解決できないようにして、「平行線」を作り出すことで、裁判にまでもつれさせているのは、代理人だ。それに、そもそも市役所との当初のやりとりにおいても、職員は何かというと顧問弁護士に相談した上での回答としていたので、今回の僕への対応が顧問弁護料とは別に委託契約されたことから考えれば、わざと回答を概括的にしか行わず、もつれさせたことで、利益を得たのも、この代理人となっている。今回の僕の対応をやめたかったのも、これ以上は利益にならないという判断があったのだろう。それが「他の業務もある」という言い分であり、これが本音なのだろう。これ以上は、裁判に、というのも、「市の委託料ではこれ以上はやりたくないので、裁判になればさらに契約ができるから、続きは裁判にしたい」ということなのかもしれない。

 

こうなってくると、これまでの市の対応というか、市が顧問弁護士と相談しながら僕に行っていた対応と、その後の、代理人とのやりとりで感じていた、解決を避け、わざと揉めようとしているような対応にも納得がいく。代理人は市を利用してビジネスにしたいのかもしれない。

 

なぜ僕がこんな邪推をするのかというと、そもそもの僕の指摘や質問は、市役所の他の部署の人たちだけでなく、県庁やら子ども家庭庁の人からも、妥当性が認められていたというのもある。また、市役所の他の部署の人たちも最初は乗り気で、「おっしゃることはよく分かります。前例踏襲で行っている施策の可能性があります」、「課にはきちんと話し合うように提案しました」などと言っていた。実際の課の人たちも、僕の指摘に対して回答ができず、常に顧問弁護士と相談し「概括的な」回答を送るようになっていた。繰り返すけれど、個別具体の指摘に対して「概括的な」回答を繰り返している認識は、代理人にもある。

 

代理人が繰り返す「概括的な」回答によく使われる「市の裁量権である」ということに関しても、別の部署に質問を送ったことがあった。「市の裁量権にある施策は、その施策の妥当性を示す法律、政府通知、政府方針や市の計画、条例等の客観的基準があることで、裁量権の妥当性が示されると思うが、妥当性を示す必要がない裁量権による施策はあるのか。また市民から施策に関しての妥当性が指摘されたときに、客観的基準を開示しない理由はあるのか。市の条例における知る権利を踏まえてお答えいただきたい」という内容だった。これに関して、担当部署からの返事はなく、代わりに、代理人から「本件に関することと思料されるため、回答させていただくが、個別具体の内容が不明であるため、回答ができない」という返事があった。勝手に思料し、本件という個別具体があるにも関わらず、個別具体の内容が不明という理由で回答を拒絶しているというのは、もはやユーモアの一種かと思わされたけれど、これも平行線を作りたい代理人らしい回答だった。もちろん、このこともすぐに指摘したけれども、回答拒否だった。

 

市とその代理人の対応にはいくつもおかしい点があり、面倒臭い市民であるところの僕はしつこく指摘し続けたけれども、会心の指摘に関しては沈黙や回答拒否が繰り返され、クレーマーという認識がなされ、挙句には、あとは裁判でもしてください、という対応に、呆れ果ててしまった。

 

そんなときに、以前、相談したことがある近所の弁護士からは、「市を断罪しましょう!」という連絡があった。また市議もこれは問題だと思ってくれたようで、市議会で一般質問してくれるということになった。一つだけ変わったことがあった。市の職員たちも代理人のやばさに気がついたようだった。職員の対応、とくに、最もつっけんどんで嫌な感じの職員が、とても丁寧な人になっていた。僕の話を聞きたいと言ってくれて、話の間中、こまめにメモをとり、分からないことなどは質問してきた。やっと普通の役所の対応みたいな感じになった。そのとき、代理人について少し話題になった。「あの人、あれ、本気で言ってるんですかね?」と僕が言うと、職員は困ったように、謝っていた。他の職員は「あの先生もなあ、」と呟いていた。

 

顧問弁護士を選ぶ基準や審査も含めて、どうにか市民の意見が反映されないものだろうか。近所の弁護士曰く、その顧問弁護士は、障害者や子ども関係の権利に関してあまり評判のよくない人らしい。そんな人が顧問弁護士であることを頼もしく思う市民もいるかもしれないが、子育て世帯としては遠慮したい人が顧問弁護士になっている。いっそ、この顧問弁護士が主張しているように、市のスローガンに「育児は親の自己責任で! 法律にもそうあります!」または「政府通知、方針などで要請されていたとしても、そして市の計画にも同様の方針があったとしても、障害児、多胎児、多子の育児に対して配慮は行いません!」とでも書けばいいような気がする。少なくとも、現在の市が掲げるスローガンは訂正が必要に思う。まあ、今年度、僕が指摘したいくつかの部分は来年度には訂正されるのだから、市としては今年度はやらかしてしまった自覚はあるようだ。ただ、市民から指摘されて素直に認めたくないというだけなのだろう。こちらは責任追及や賠償請求するつもりなどはないのに、責任や賠償などを恐れているのかもしれない。