いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

撮影現場に困る!<下>(ボストン篇)<知っている場所を映像で見ると嬉しくなる>

撮影現場に困る!<上>(ボストン篇)の続きです。

 

今回はとくに困った話というわけでも、困っているわけでもないのですが、困ったといえば、ボストンに行くことになったのに、ボストンのことが全くピンと来なかったということくらいで、急いで地球の歩き方を読んでみたり、ウィキペディアでボストンと調べてみて、気温を調べてみたくらいだった。とはいえ、ボストンを舞台にした映画なども見ることもあるし、ボストンにいざ行ってみると、意外と、ボストンという地名は見かけることもある。困っていないけれども、なんとなく、

 

困ったことがあった。

 

映画やテレビなどで自分が行ったところが映るとなんだかちょっと嬉しくなるのはなんだろう。それはボストンじゃなくても、ちょっと行ったことがある場所が映るとなんだか楽しい。大塚や南千住あたりをタレントが散歩するような番組を見ても嬉しかった。でも、東京駅や新宿駅が大雨の日などに映ってもなんとも思わないし、大晦日あたりにアメ横が映ってもなにも思わない。巣鴨で老人たちがインタビューされているのを見ても、ここ、ここ、みたいに思わない。なぜだろう。僕の育った東京郊外の場所の一角が、ある事件があってニュースで映されたときは、わくわくした。映された場所の一階の喫茶店に子供の頃、母親と入ったことがあったからだ。保険の仕事をしていた母の友人から母親が保険の勧誘を受けていた。そのときコーラフロートをはじめて飲んだ。

 

これは、地名とは関係なく、その場所の、ごくごく僅かの部分、新宿駅東口とか西口などが映ってもなにも思わないが、新宿駅だとしても、特定の場所、西口Bとか名付けられたコインロッカーが映ったら、ちょっと嬉しいのかもしれない。自分がそこに立って、そこで見たごく一部分の景色が映るから楽しい気持ちになったりするのかもしれない。

 

「coda」という映画の中で、バークリー音楽大学に面する歩道が映ったから僕はきっと嬉しかったんだろう。僕はその道の途中でなぜか写真を撮った記憶がある。バークリー音楽大学の中には入ったこともなかったから、その後の場面はなんとも思わなかった。

 

ボストンには有名な場所がたくさんある。観光客がいる場所もあるし、銅像やら碑が建っている場所もある。そんなところに行ってもとくに何も思わない。ここがそうか、と「ボストン茶会事件」の場所に行っても、その程度のものだ。ボストンティーバーティという言葉が少し気に入った。記念館も併設されていたので入ってみた気がするけれど、とくに覚えていない。

 

ボストンに来て数ヶ月過ぎた。

 

妻が何かの手続きがあるということで、子供をベビーカーに乗せてついて行った。妻の用事が済むまで、2時間くらいかかるということもあって、ブラブラと子供を乗せて散歩していた。

 

チャールズリバーという川がある。その辺りを歩いていると気持ちがいい。隅田川くらいの川幅というのもあって、隅田川を見ている気持ちになっていた。ちょっと疲れたな、と思って、ベンチに腰掛けた。後ろには、MITという有名な大学があった。

 

ふと、あれ、ここなんか見たことがあるぞ、と思った。

 

あの映画だ。MITで掃除の仕事をしている青年が、研究室の前に出された課題を解いてしまうことから、数学の天才だとかなんとか言われて、サクセスしていく映画の中で、見た景色だ。そのときに、ベンチに座っていたと思う。で、僕が座ったベンチはそのときの景色に似ている。似ているけれど、その映画のこともあまり覚えていないし、なんとなくMITを後ろにしているから、その映画が思い出されただけで、もしかしたら、映画の中では、チャールズリバーに面したところじゃないかもしれない。それに、ボストンには大学もたくさんあるし、その映画の舞台はMITだったかもしれないけれど、枯葉などが散るベンチであれば、ハーバード大学校内のベンチの方がお似合いなような気もするから、ここじゃないかもしれない、とか思いもしたけれども、でも、ここかもしれない、とかそんなことを思っていた。

 

妻の用事が終わって合流した。

 

「ほら、なんて言ったけ、あのMITの映画、グッドフェローハンティングとかそんな名前の映画」

 

グッドウィルハンティング?」

 

「ああ、それ。それのベンチに座ったかもしれない」

 

「見てないんだよね、それ」

 

僕らの会話はこんな感じだ。その後、「グッドウィルハンティング」を見直したのは帰国してしばらくたってからだった。見たといっても、乳幼児3人の世話をしながら見たため、肝心の場所がどうだったかも確認し忘れてしまった。それにそのベンチがどうだったかなんてことは別にどうでもいいように思えている時期でもあった。写真で見たような景色を見ても、とくに何も思わないものかもしれないし、ハーバードスクエアあたりも僕らがいるときに再開発みたいなものが進んでちょっと違う雰囲気になっていた。MITの界隈もちょっと前を知っている人からすればずいぶん変わったらしい。

 

そういえば、もう一つ、映画を見た。ボストングローブという新聞社の映画で、教会の児童虐待のスクープをものにしたとかそんな映画だった。見慣れた景色があったような気がするけれど、あまり覚えていない。映画を見ながら、ここ通った気がするとか思ったけれど、外国人の僕にとって、ボストン郊外はどこも似たような感じがした。よく通った道や、印象的な建物の近くなら分かったかもしれないし、解けた靴紐を結んだ場所や、甘すぎるコーヒーを買って捨てたゴミ箱とかだったら、思い出して喜んだかもしれない。