いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

公共空間に困る!<下>(ボストン篇)<公共性というのは最近のことかもしれない>

公共空間に困る!<上>(ボストン篇)の続きになります。

 

ボストンにいると、年配の中国人のマナーの悪さという話を聞くことがある。しかし、それは何も中国人に限ったことじゃないような気もする。そもそも公共性というのはなんだろう、とそんなことを考えた。

 

困ったことがあった。

 

公共性がない、そう言われてみると、日本でもお年寄りにマナーの悪い人は多いという印象がある。公共性などが細かく言われるようになったのって、もしかしたら、そんなに昔のことじゃなくて、最近のことなんじゃないのか? という気持ちすらして来た。

 

ボストンの中国人のおじさんを擁護すると、日本人とはちょっと違った事情がある。

 

ボストンは保育園やベビーシッターの値段がとても高い。そのため母国からじいじばあばに来てもらって一緒に住むということがある。日本人でそうやっている人はあまりいなかったけれど、中国人の場合は親を呼び寄せている人がそこそこいた。そして、子供に呼び寄せられたじいじばあばは英語ができないことが多い。ボストンにいると、アジア人の僕は何度も中国語で話しかけられた。英語で返事をしても中国語でガンガンくる。子供たちに呼ばれてボストンに来てしまったのだから、英語ができなくても仕方ない。

 

これはこれですごいことだと思う。日本人でも「英語ができない」と思っている人は多いかもしれないし、僕だって英語は得意じゃない、とはいえ、少しは話すことができる。図書館の無料の英語のレッスンでも「日本人は英語ができないって言って初級からはじめようとするけど、多くの日本人は中級からでもレッスンについていける」と言われたこともある。中国から呼び寄せられたじいじばあばの場合は、自称英語ができない日本人と比較にならないくらい英語ができない。にもかかわらず、ボストンに住んでいる。これはなかなかできることじゃないと思う。少なくとも僕の母親なら怖気付いてしまって、できないというか考えもしないと思う。

 

そんな中国のおじさんおばさんがいる。

 

彼らは母語で話続けるように、母国と同じ振る舞いをし、自分たちが住んでいた地域と同様に周辺を利用する。これは仕方のないことだと思う。そして、公共的なところも、自分の家のように利用してしまうことになる。これがちょっと周囲から浮いてしまうというか、どうなの? という目で見られてしまうことになる。

 

それにボストンという街は、ちょっと鼻持ちならないというか、気取ったところのある街で、公共的なスペースなんかがちょくちょくあるし、そこは綺麗にされているし、利用する人がマナー良く使うことが前提にある。私有化に対する厳しい視線もちょっとあるし、世界中から、ちょっと良い子たちが集まっている。公共的な場所を占拠したりするのは、若者ならまだバカやってるなくらいに思われる程度だろうけど、大人がやると周囲が若干引いている。そんな場所だから目立ってしまう。

 

もし僕の親がボストンにいたらどうだろうか。きっと同じことをしただろう。子供の頃、親や親の友人と外出するのがいやだったのは、場所取りなんかのエグさがいやだったというのもある。飲食店なんかに入ったときに、ずかずかとお店に入っていって席をとって、「こことったわよー」みたいに大声で叫ぶ大人の姿に、子供ながらも引いてしまった。

 

巣鴨の交差点に、信号無視するじいじばあばに孫が注意喚起をするポスターがあるように、老人たちが生きていた時代や環境では信号無視もタンをその辺に吐くことも、立ちションも、席の占領もゴミを散らかしたり、ポイ捨ても、普通のことだったのだろう。僕にしても、若い頃は立ちションもしたし、駅前に放置自転車をしたことがあった。

 

そうだ、僕だって、今はやらなくなったというだけだ。で、今やらなくなったのは、僕が大人になったからやらなくなったと思い込んでいたけれど、実は大人になったからやらなくなったんじゃなくて、周囲の環境の変化などに合わせてやらなくなったというだけなんじゃないだろうか。

 

で、そんな周囲の環境の変化に合わせて変化した僕が、変化していないおじさんやおばさん、そして母親を恥ずかしいと思っている。

 

公共性やマナーは地域によって変わってくる。ひと昔前の世代が多く住む地域は、公共性という考えが少なかったから、どうしても放置自転車やゴミ、公共空間の占拠などが目立っている。ボストンのように外から来る人が多い地域は、その時代の変化にも敏感だから、公共の場所も多くつくられ、公共の場所をうまく利用できる人たちのための環境が作られている。

 

巣鴨の例を出したけれど、東京の下町はそういう意味では昔ながらの感じがあった。同じ東京でも山手と言われるところとボストンは似た感じかもしれない。これは、名古屋でも同じことが言えると思う。名古屋も南や西側は下町的で、北や東は山手的だ。放置自転車やショッピングモールなどを見てみると、民度というか公共精神のありようが、よく分かるかもしれない。

 

ボストンにこれから住む人は、ボストンだと下町っぽい感じでやるとちょっと引かれると思っておいて良いかもしれない。ボストンにも下町はあるらしいけれども。