「納品が遅れれば遅れるほど割り引かれる」
困ったことがあった。
家を建てるというのは大変なことだ。お金のことは当たり前すぎるのでお金のことを言い出すと、大変とかなんだかもうそんなことも言ってられないくらいの話でして、まあ、ここで大変とか言っているのは、家を建てられるくらいの余裕がある奴の大変さなわけですから、大変のトリアージをしてみたら、大して大変でもないということで、「大変」から「大」を除いて、「変」にしてみてもいいかもしれない。
仕切り直してみよう。
家を建てるというのは変なことだ。なんだかニュアンスがおかしなことになってしまったけれども、「変」でもいいような気もしてきた。そう、家を建てるのは「変」なことだと思う。何が変かというと、自分の住む場所を一から考えて、間取りはこうとか素材はこうとか住宅設備はこうとか、よく分かっていないのに決めていくことが「変」というか、団地で育った人間からすれば、すでに作られたところで住む方が「変」じゃないというような、そう、簡単に言えば、どんな家に住みたいかなんて、よく分からないことなのに、それを分かったように決めないといけないということが「変」ということかもしれない。
そして、その「変」なことがたくさん集まってしまうから、ついつい「大変」なんて思ってしまうということなんだろう。
「大変」と書いてしまったことへの言い訳が長くなりすぎてしまった。
家を建てる上で想像のつかないことはたくさんあるとはいえ、前の家を建てるときに知ったこととか、商業施設などで使ったことがあるものとかもあるから想像がつくのもある。自動水栓の便利さなどは家になかったとしても、デパートやショッピングモールにあったりするのだから、どんなものかは想像もつきやすいし、IHクッキングヒーターにしても、家になかったり、そんなに使ってなかったにしても、もう10年以上前からあるものだから、何がどうかくらいはだいたい見当もつく。
想像のつきやすいものに対しては、性能や値段をシビアに考えるくらいで、変な気持ちもない。ただ、変な気持ちもない反面、妙なこだわりのようなものも生まれてきてしまって、頭を悩ませる。
IHに関しては、僕が知っている頃とあまり変わらず、便利機能や安全性などが改善されたりしているくらいなのかな? という程度なので悩むこともない。悩んだところできっとそんなに選択肢もないのだろう。グリルをアップグレードするかどうかという想像がつきにくい提案はあるにはあったけれど、いまの僕の料理スキルだけで判断してはならないと思って、将来の僕が子どもたちのためにローストビーフやら名も知らぬ煮込み料理を作る想像をすることで、アップグレードすることにした。正直、アップグレードする必要があったのかは分からない。弘法は筆を選ばずというけれど、弘法でもない人間は、少しくらい筆を選んだ方がマシになるんじゃないかと思っている。料理のすごい人なら、フライパン一つでおいしい料理が作れるだろうけど、僕は道具に頼らないとできない。包丁をいい包丁にしたのも、同じ理屈。それに素人がいい道具を使おうとしなければ、いい道具を高値で作っている職人さんたちだって困るだろう。無駄にいい道具を揃えることは、その業界のためになっているに違いない、と僕は信じている。
そんな言い訳をしながら、グリルをアップグレードした。
しかし、グリルなんかよりも大事なことがある。キッチン周りの一番の問題は食洗機だ。これが本丸だ。
結婚してから、僕がずっと食器洗いをしている。食器洗いが好きというのもあるけれど、妻が鍋を洗うと真ん中に洗い残しがあったり、水切り籠がぐちゃぐちゃだったりということもあって、我が家では、妻が食器を洗うことは推奨されていない。こればかりは仕方ないことだ。
僕は若い頃に飲食店の仕事を結構やっていた。主に厨房。簡単な物の例えのように言われる皿洗いだけれども、これはこれでセンスが必要だと思った。皿洗いのセンスというのがあって、経験で補えるものではないと思っている。しかし、この皿洗いのセンスが注目されないのは、洗い残しや水切りなどのごちゃごちゃが、大きな問題にされないというのがある。そのため、皿洗いのセンスがない人でも皿洗いをした気になるし、皿洗いのセンスがある人の皿洗いが評価されにくい。
僕は皿洗いのセンスがある側の人間だ。洗い残しに敏感に反応するのはもちろんだし、そもそも、シンクに皿をどう並べるのかということすら目を光らせている。そして皿を洗いながら、水切り籠にどのように置けば、全ての食器から水が滴り落ちるようになるのかを考えているし、置ききれない量の食器があるときには優先順位をつけるということを瞬時に行っている。これが皿洗いのセンスだ。このセンスが妻にはない。きっと皿洗いにセンスが必要だなんて思ってもないのだろうし、ただ汚れている食器を洗えばいいと思っているだけなんだろう。うん、それはそれで間違いではないし、ムキになる僕がおかしいのは分かっているけれども、皿洗いというのは人を狂わせる魅力がある。そこには何やら幾何学的な直感が働いているような気もする。
こうして、6年間、僕は皿を洗い続けた。センスとか才能とか自分に言い聞かせて、鼓舞しながら。
「食洗機に困る!」<中>(新築篇)に続きます。