お泊まり客に困る!<5>(ボストン篇)の続きです。
育児中、とくに乳幼児の育児をしている家に泊まりに行くことは慎むべきだと僕は思っている。育児で寂しくなっていて誰かに泊まりに来て欲しいという人もいるかもしれないが、そういう泊まりに来て欲しいという人であれば成立することも、泊まりに来てほしくない人ももちろんいるわけで、わざわざ泊まりに来てとも言われていないのに、泊まりに行こうとするのはちょっと理解できないことでもある。僕がこんなことを思うのは、もしかしたら、長女が自閉症児だったからかもしれないし、そのあとは、双子だったからかもしれないから、一般的な感想ではないのだろう。乳幼児の育児中は、不眠不休でいつもふらふらになっていたのだ。そんなふらふらで、宿泊客のおもてなしなどできるわけもない。
しかし、それでも、泊まりたいと言ってくる人がいる。人助けなら仕方ない部分はあるが、あまりにも相手の都合が全面に出ているお願いとなると、人助けよりも利用されているだけという気持ちが勝ってしまうもので、何を言っているんだろう? と怪訝な気持ちになった。なぜ、子連れ旅の知りもしない人がうちに泊まりたいのだろう?
困ったことがあった。
いろいろと詳しく聞いてみると、西海岸に住んでいる彼の知り合いのご家族で、その奥さんと子供がボストンに旅行に行きたいけれど、子連れの旅だと宿泊先が心配だということもあって、うちに泊めて欲しいということだった。ちなみに、その子連れの方はそんな感じでアメリカ各地を泊まり歩いているらしく、どんな家庭でも気にしないということだ。
僕が狭量なのかもしれない。全米を旅行したいという気持ちは分からなくもないし、子連れの旅は確かに宿泊先なども心配だ。僕らもペンシルベニア(最近、いつの間にかこのカタカナ表記になった気がする)に旅行したとき、駅前のホテルの床からは釘なのかタッカーなのか分からないけれど、とんがった針の先端が数ミリ出ているのを見つけた。乳幼児だと床が大人よりも近いので、そんなちょっとした針一つでも危険だと思ってしまう。日本人のようにすぐにホテルで靴を脱ぐ人たちも同様に危険だろうが、まあ、大人で危険なら乳幼児はさらに危険という感じだ。そんなこともあるから、その子連れの人が旅先で知り合いの家に泊まりたいという気持ちになるのは分からなくもない。同じように子育てをしている家庭であれば、いざというときの薬や保湿、オムツや離乳食まで自分たちで用意してなくても提供してくれるだろう。しかし、僕は思ってしまう、これは、知り合いであればだ、知り合いであり、かつ結構、親しい間柄じゃないと成立しないと僕は思ってしまう。
好青年は、あまり親しくない関係であっても、異国の地の同胞人であれば助け合うものだ、という考えがある。それは素敵な考え方だと思うし、ボストンに住んでいると、他のアジア人が元からの知り合いでなくても助け合う姿を羨ましくも感じる。ボストンにいる日本人たちは同じ日本人だからというだけの理由で助け合うということはあまりない。何かのきっかけで仲良くなってそれで互いの家を行き来するということはあっても、それは日本人じゃなくても仲良くなればそうなる。僕らも仲良くなった日本人家庭は何組かいるけれど、同じくらい日本人ではない家庭とも仲良くなった。帰国後も、ボストンで知り合ったアメリカ人家庭が数日うちに泊ったこともある。しかし、やっぱり、それは仲良くなったからできることだと思うし、そのときに泊まってもらうことができたのも、一戸建てを建てて泊まれる部屋があったからだ。
好青年が紹介しようとしていた子連れの日本人は、知らない家庭に宿泊することに慣れているということだった。なかなかたくましいことだと思う反面、どうしてそういうことに慣れてしまったのだろうかと思ってしまう。子連れともなると、子供が何をするか分からないのだから、僕の感覚では相手から泊まってと言われても遠慮してしまうくらいだ。いいホテルは高いし、安いホテルが心配なのは分かるが、当時からエアビもあった。子連れの旅のときに、僕らはエアビを積極的に使っていた。うちの場合は長女の夜泣きや癇癪が激しかったから知り合いの家に泊まるということは、確実に迷惑をかける行為でもあった。
それにここでもひっかかる。「その人たちは知らない人の家に泊まることに慣れている」かもしれないが、僕らは「知らない人を家に泊めることに慣れている」わけではない。どこかこちらの事情が無視されているようにも思う。長女の夜泣きと癇癪が僕は気になるし、毎日毎夜疲弊していた。それに僕は長女がいつ夜泣きをしてもいいように、夜中に起きていることが多く、仕事をしながら長女の異変に気がつけるようにしていた。妻が日中、職場に行く時も、寝不足のまま長女を公園に連れて行き、買い物をし、家事をして、疲れ果てて、長女を抱いたまま昼寝をしてしまうこともあるけれど、そういううたた寝やだらっとした時間が日中にあるから、どうにかもっていたという感じだ。そこに、子連れが来たらどうなる? 子連れを仕事部屋に泊めると、僕はリビングで長女の夜泣き対策をし、日中のお出かけやら何やらのときのタイミング次第で僕は疲弊していくのが目に見えている。同じ育児家庭といっても、1歳そこそこの子供と、何歳かは分からないが旅行が平気でできる年齢の子供の育児では意味合いが違う。大きく違うのは、親の疲弊度が違う。
いま、うちの子たちは、7歳と5歳だ。僕が睡眠時間をちゃんと確保できるようになったのは、下の子達が2歳を超えたあたりだろう。子供が3人いるとはいえ、着替えやトイレなど自分たちでできている。ご飯にしても用意しておけば勝手に食べる。そんな状態であれば、子連れが泊まりに来ることだってそんなに問題はない。また、今の家だとフリースペースになっている子供部屋が一部屋ある。ここに泊まってもらえれば互いに干渉することもほとんどない。僕の仕事部屋を明け渡すこともないのだから、問題はない。子供の年齢と環境によって、宿泊できるかどうかも大きく変わる。今では子連れの宿泊はどちらかというと歓迎で、それは子供同士が楽しく遊んでくれるので、大人同士で語り合うことも可能になるからだ。僕が子供の世話に忙殺され、その後、家事が増えるだけになる宿泊ではない。
子連れの家に泊まりに行く、というそれだけでも、細かな違いが大きな違いになる。とくに乳幼児がいる家となると、これはもう、泊まってはならない、と法律で決めていいくらいな気もする。まあ、泊まる人が乳幼児のお世話スキルが高い人であればもちろん歓迎なんだけれども、そもそも、乳幼児の家に泊まりに来たいと言ってくる人は、乳幼児の世話ができない人というよりも、乳幼児の育児を考えもしない人が多い。子育て経験がある人であっても、自分で好き勝手にやった子育てと、人の家の子育ての方法との違いに気がつき、応用できる人はあまりいない。僕の母親がいい例で「昔はそんなことをしなかった」「ほっとけばいいのよ」と、僕がどういう育児をされていたのかよく分かることばかり言って、乳幼児の世話は何ひとつできなかった。孫が来て嬉しい帰って嬉しいという言葉を最初に出したけれど、うちの場合は、ばあばが来て嬉しい帰って嬉しい、になっていた。お客さんになったときには、せめて来て嬉しいと思われるようでありたいものだ。