いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

パブコメに困る!<4>(自閉症児篇)<パブコメは要約され、大事な部分はカットされる>

パブコメに困る!<3>(自閉症児篇)の続きになります。

 

何度も書いているけれども、日進市全体に不満があるわけではない。日進市の公立保育園には二つ通ったけれども、どちらも素晴らしい保育園だった。とくに何が素晴らしいかというと、保育士のみなさん一人一人の気遣いが素晴らしいものだった。まるで、日進市役所の、きつい言い方をすれば、差別的な施策や態度の尻拭いをするかのように、現場の方達は誠実に、そしておもいやりのある対応をしてくださっていた。保育園とそして保育士のみなさんにはいつも感謝している。また、障害者センターの相談支援員の方も、親身に相談に乗ってくださり、僕の質問や指摘に関しても一生懸命調べてくださっていた。ただ、現場の方たちの努力や能力だけでは、解決できない制度的な問題があって、その制度的な問題、社会的障壁を作っているのが、日進市役所であるというだけなのだ。

 

僕が書いていることだけを見ると、僕が現場の方に迷惑をかけて、横柄に振る舞っていると思われてしまうかもしれないから、言い訳のように書いているのだけれども、これまでいくつもの市町村で保育園や障害者センターを利用してきて、日進市ほど親身な保育士や相談支援員がいるところはないんじゃないかとも思っている。そして、僕は彼、彼女らに励まされて、どうにか一年を乗り切った。日進市への恨みを忘れないように、現場の方たちへの感謝も忘れない。

 

で、問題のパブコメだ。

 

困ったことがあった。

 

僕は、日進市の条例にもあるように、部署間で横断的に障害者支援、配慮が行われるようすべきじゃないかと思った。部署を超えて、地域福祉課の方針による「おもいやり」を持った施策を行うように、他部署に働きかけるようにすべきではないか、というようなことをパブコメで書いた。しかし、この文言はパブコメでの意見公表時には、カットされてしまった。

 

市の回答は、協議会などで専門家たちから適宜意見をもらっている、というような回答だった。保育園関係の協議会を傍聴したことがあるけれど、適切な意見や質問をしている人は、2人くらいなもので、あとは法律も条例も、そして施策も理解していない方が椅子に座って、職員の提案をそのまま承認するだけといったような協議会だった。そんな人たちから、適宜意見をもらっているのに、障害児とその保護者の満足度が異常に低いという現状がある。協議会の進め方に問題があるのか、別に専門家が必要なのか、改善策はいくらでもあると思うけれども、日進市は協議会を全面的に信頼しているというポーズをとり続ける。民主的な形式を踏まえているから、問題ない、ということなのだろう。日進市に呆れてしまう回答だった。

 

また、日進市では、スクールロイヤー制度というのをやるそうだ。さまざまな法令や条例がある現在、法律家といえども各専門に特化した弁護士などでないと、適切な判断ができないことが増えている。そのため、学校と子供双方の利益を守るために、専門性を有した弁護士を雇うということだった。それはそれで大切なことだと思った。子供の利益を守るため、と広報誌にも書いていたのだから、そのまま、同じ理屈、論理でもって、障害者、障害児の利益を守るために、障害や福祉に対して専門性を有した弁護士を雇うべきなんじゃないか、ということもパブコメに書いた。これも大幅にカットされてしまった。きっと、日進市の顧問弁護士が、障害者差別解消法について、法令の誤認をした事実を書いたからかもしれないが、専門性を有しないからこそ、法令の誤認が起こってしまったという事実を書かなければ、僕が求めるような障害者、障害児の利益を守る弁護士を雇って欲しいという要望の切なる思いも伝わらないと思ったから、あえて書かせてもらった。しかし、カットされてしまった。カットされた上で、日進市はすでに専門家たちがいる、というような回答だった。専門家たちがいるのに、なぜ基本中の基本のような法令の誤認が起こってしまうのだろうか? そしてそのような専門家を専門家として認めていいのだろうか?

 

日進市パブコメを読んでいると、どうやら、日進市は、すでに完璧らしい。そしてその完璧な状況にも関わらず、障害児とその保護者は不満ばかり言っているという認識らしい。そう、僕だけでなく、アンケートを見る限り、多くの障害児やその保護者たちのような不満分子は、クレーマーとして認識されている。日進市や国の方針や基準、近隣市町村の状況を見た時に、十分に満たしている、等しいくらいにやっているというのであれば、僕はクレーマーだろう。しかし、ここでも何度も書いているけれども、日進市は周囲の市町村を見ても、ちょっとひどい状態であるという事実がある。もちろん、違法状態ではないけれども、違法状態ではないということくらいだ。

 

日進市の顧問弁護士が電話で言っていた。「違法とされるまでは適法なのです」これこそ日進市を表す言葉だと思った。

 

障害者を取り巻く法令は、毎年のように厳しくなっている。それまでは違法じゃないことでも違法になようになってきている。努力義務だったものが、義務になっている。数年後、現在の日進市のやり方は、違法状態とされるかもしれないが、そのときには、しぶしぶと、重い腰を上げて、前例踏襲を改めるのだろう。「違法とされるまでは適法なのです」という必要最低限のモラルが日進市には根強くある。評判の悪い企業のようなやり方だ。テレビドラマだったら、悪役の弁護士がいうセリフだろう。こんな施策や計画なのに、「おもいやり」などと提示しているのは、嫌味なのか、ウケ狙いなのか、僕にはちょっと分からない。

 

昨年度のパブコメはちょっと苛立ちながら読んでいたけれど、最後には笑ってしまった。しかし、これに懲りず、またパブコメは書いて行こうと思った。しつこく、なんども書くことが必要だ。僕が以前のパブコメを読みながら、仲間がいると思ったように、僕も何度も書くことで、まだ出会っていない市民を励ましたいと思った。でも、なんだか警戒されているらしく、僕の書いた文章は重要な部分がカットされてしまう。今度は、カットされない作戦を立ててみよう。

 

そういえば、以前の障害者への計画のパブコメにも、「絵に描いた餅」とかそんな表現があった。僕も、計画を見ながら、まさに「画餅」という言葉が浮かんだ。それと、もっとひどく、羊頭狗肉という言葉も浮かんだ。仏作って魂入れずでもいいし、画龍点晴を欠くでもいいけれど、日進市の計画に対して、そんな思いをしている人が数年前からいるだけでも、多少は救われる気がした。1人でぷりぷりしているわけじゃないのだ。まあ、逆に、それだけ何人からも何年も言われていても、変わらない日進市という困った状態でもあるわけなんだけれども。