いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

移住先に困る!<6>(自閉症児篇)<障害児や多胎児の育児に適した移住先を探した>

移住先に困る!<5>(自閉症児篇)の続きです。

 

障害児や多胎児の育児には、僕らのように頼れる身内がいない場合は行政の手助けが何よりも必要だということを痛感していた。ボストンでも東京でも行政の支援、配慮でとても助けられていた。名古屋の場合は、行政は配慮などをしようとしても、たまたま出会ってしまった現場の人の個性の強さと、内部的な結束の強さで知られる名古屋気質が悪い方向に流れてしまって、ごまかしと隠蔽が度重なりややこしくなってしまった。とはいえ、名古屋市はそれなりに聞く耳があった。僕の対応は課長になり、すぐに返事もしてくれた。そして専門家を有した話し合いで、妥当性や要求の意味、そして現状を理解すると、速やかに対応をしてくれるようになった。この辺は、さすがだなあと思った。主任と園長と社会福祉協議会の妙な馴れ合いがなければもっと早く解決したけれども、行政としては障害児、多胎児に対して誠実に対応する姿勢ではあった。こじれてしまったのは、僕自身、不勉強だったので最初の方で論点を絞れなかったというのがあるかもしれない。

 

困ったことがあった。

 

そして最後の引っ越し。これこそが移住となる名古屋市のお隣日進市

 

名古屋でちょっと大変だったということもあって、名古屋市から出ることは決めていた。今考えれば、大変であったとしても、名古屋市役所であればずいぶん話し合ったということもあって、そのまま名古屋市で土地を探してもよかったのかもしれないけれど、当時、僕らが住んでいたところは、名古屋市の人からも、ちょっとクセが強い地域と言われた場所で、東京で言うところの、台東区墨田区あたりの感じと言えばいいのだろうか、下町感があるところで、下町の閉鎖性、排他性が苦手な僕としては、はじめて住んだ名古屋が苦手な特性を持っていたために、名古屋がいやになってしまった。考えてみれば、東京でも下町は遊びに行くのはいいけれど、ちょっと生活していたら苦手だなあと思うことが多かった。スーパー内の民度の低さにいつも引いていた。下町が嫌なのか、名古屋が嫌なのか、その辺を整理しないまま、名古屋から出ることにした。

 

名古屋で学んだ教訓を活かそうと、まずは市町村の取り組みなどを見てみることにした。仕事では名古屋市に出ることが多いため、できるだけ名古屋市内に入りやすい近隣市町村が中心ではあったけれど、ハザードマップとそれぞれの障害児や多胎児、育児の施策を中心に市町村の条例や計画なども参照していた。名古屋市の周りには、全国的にも知られている育児に向いている市というのがある。大府市長久手市は有名だ。その二つの市なら「子育てがしやすい」かもしれない。

 

当初は長久手市にしようと、長久手市のホームページを見たり、実際に、現地を歩いてみたりした。長久手市は魅力的だ、魅力的ではあるが、公共交通機関がちょっと不便というのと、駅周辺の地価も高かった。お手頃と言ってもそれなりに高いお値段の場所も、育児だけなら申し分ないとしても通勤や、その後の子供たちの通学を考えるとちょっと難しい場所にも思えた。

 

豊田市も見てみた。豊田市も「子育てがしやすい」市を目指しているようにも思えた。保育園の入園では、多胎児への加点がずば抜けて多いだけでなく、小学区にある保育園の入園にも加点があることから、兄弟姉妹が別園にならない配慮や、便利な地域に他の小学区から越境というのもちょっとあれだけれども、越境による申し込みの集中を避け、できるだけ自宅の近くの保育園に入りやすい配慮がなされているようにも思えた。これはなかなか慧眼で、兄弟姉妹がいると別園もそうだけれども、たとえば、一人が小学生になったときなどに遠い保育園にもう一人を通わせていたら、送迎の困難さだけでなく、幼い子が長時間お留守番などをするリスクが出てくる。これらを避けるためにも、小学区内の保育園へ入園を希望する人に対して優先利用の配慮をするというのは、育児のことを考えている、ということになるのだろう。恒常的な放置という虐待事例への市行政ができる予算を使わない最も簡便な対策でもある。

 

他の市町村の保育園利用申し込みを見ると、他には、障害児の優先利用は応相談という国の方針を加味したものもあったり、療育に通う兄弟姉妹がいる兄弟児に対して優先利用するというような国の基準を上回る配慮をしている町もあった。日進市には、障害児多胎児多子に対して、保育園の利用調整の項目が一切なかった。

 

移住先に困る!<7>(自閉症児篇)に続きます。