いい加減に困る!<4>(ボストン篇)の続きになします。
アメリカは、日本人というか、神経質な僕からすると、いい加減すぎる。いい加減さにイライラして、不満たらたらだ。しかし、どういうわけか、その不満などを言葉に乗せて、ここがおかしい、これはこうじゃないか、みたいな話をしていくと、怒ってしまう人もいるが、多くの場合は、だんだんと仲良くなって、しまいには、いい加減さのせいで困らせられたのに、いい加減さのおかげで満足したりもした。一つだけ言えるのは、アメリカは面倒臭い国だということだ。いちいち理屈をひねって交渉しなければならないのだから、面倒臭い国なのだ。そして、僕は、神経質でありながらも、議論などの面倒臭いことは好きということから、このいい加減さと面倒臭さの国を愛し始めていた。
困ったことがあった。
結果的には、楽しい思い出になったけれど、商品トラブルのことは、元を辿れば、商品管理に対するいい加減さでもあるし、返品文化を悪用してしまういい加減さが生んだトラブルだった。しかし、こういういい加減さの中で、論理や弁論を重んじる気持ちや個人の自由などはいい加減な気持ちではやっていない。トラブルの数だけ、僕はアメリカを嫌いになり、トラブルの数だけ僕はアメリカを好きになった。算数的にプラスマイナスゼロということになるのかと思いきや、嫌いと好きが混じり合うと、愛おしい気持ちになるらしく、TDバンクの受付も、管理人さんも、髭もじゃのおじさんも、懐かしい愛おしい思い出になっている。
そうそう、これは最初から嫌な気分にならなかった、いい加減さがある。これはいい加減というには少し違うかもしれない。長女の障害について最初に相談したアーリーインターベーションの人がいた。この方は、自分には障害や自閉症を診断する権限がないが、明らかに長女は自閉症であるから、ルールからは外れるが、すぐに療育を行おう、と提案してくれた。なにぶん初めてのことでもあるから、診断前に療育が受けられることや、療育を行うことがいいことなのかも分からなかった。すると、彼女は、医師ではないから診断ができないというだけで、療育の必要については彼女が判断できるということだった。また、療育が必要なのは、子どもだけでなく、親のためでもあることを話してくれた。そして、自閉症に対する療育の効果などを示した論文などを見せてくれて、重要なところを説明してくれた。制度では対応できない部分に対して、医師ではない者であっても専門家としての知見があるため、彼女は自信を持って説明してくれた。その裏付けとなる論文なども参照し、また、療育の早期介入の重要さがアメリカで言及されるようになった歴史的背景なども説明してくれた。アメリカでは、以前、自閉症に対して、いまからすれば差別的な対応をしていたことなども、このとき知った。
彼女の論理、理屈、そして弁論に圧倒され、不安の中にいた僕ら夫婦は救われた。また、日本では、医師の判断などがなければ受けることができない療育もアメリカでは、療育の専門家が判断することができること、そのために多くの論文を読み、自分でも論文を書いていることなどに驚いた。自閉症や発達障害に関してはさまざまな視点で論文が書かれており、どのような取り組みにするのかということがずっと議論されている。決まった答えなどはないからこそ、彼女たちは、日夜勉強しているということだった。そして、現在、定説になっているのは、早期介入と療育は多ければ多いほど効果があるということだ、という説明があった。
このことを思い出したのは、日進市で療育をめぐって話しているときに、全く逆のことが言われたからだった。日進市では、療育を極力受けさせない、週に二回が最も効果的だと考えているということだった。僕らがアメリカで聞いた話と違っていたので、どういう見地から、どのような論文によって、そしてどのようなアンケート、障害特性や療育施設の専門性などが検討されて、このような方針でいるのか、と聞いた。答えは驚くべきことに、「論拠はないのですが、経験上、慣例上、そういうことになっている」ということだった。このことに関しては、別に自閉症児篇で書きたいと思う。
日本の現状に対して、アメリカでは、ボストンでは、と大上段に言って批判したいわけではない。日本でも自閉症児や発達障害等への療育に対しては、意見が分かれ、統一的な見解が出ているわけでもない。良心的な学者たちはアメリカなどの取り組みのことも知っている。つまり、答えが出ているものではない。ただ、違いは、職員などを含めて、アメリカでは、個人が個人の見解を磨くために論文などを読んでいるということだ。日本の場合は、というか、日進市の場合は、市がたまたま知り合ったのかは分からないけれど、市のそれまでの施策に近い意見を抱く学者に意見を聞いただけだったりする。つまり、現場の個人での判断がないのだ。と、つい別に書く予定だった、日進市の療育への取り組みについてダイジェストで書いてしまった。
ボストンでのアーリーインターベーションの担当者に驚いた僕らに話を戻すと、彼女とその同僚たちからも専門的な話を毎回聞いた。僕らが質問をすると、インターネットで閲覧できる論文を教えてくれたりもした。また、長女の障害を見定めながらも、他にも障害があるかもしれないといろいろと手配もしてくれた。自閉症児の場合は、耳が聞こえないことから自閉症のような症状になることがあるということから、言語療法士の方が耳鼻科まで付き添ってくれた。付き添いの制度があるのかと聞いたら、医師との話し合いのときに、専門家がいた方が誤解がないし、僕らが母語が英語ではないことが心配で個人的に付き添うことにしたということだった。つまり、彼女は、業務上のルールからではなく、個人として付き添ってくれていた。彼女たちの前では、自閉症などを取り囲むシステムやルールの方が遅れている、あるいはいい加減に思えるのか、一人一人が個人でシステムを超えて関与してくれた。理由は、本人たちに重要と思えることだから、ということだった。すごいぞアメリカ、と正直思った。
アメリカのいい加減さ、そして異文化での生活への苛立ちや不満はたくさんあった。けれども、ある不満、苛立ちを超える、それは異文化、異言語を超える、システムやルールよりも、状況やロジックへの信頼は、互いを人間同士の関係とする。これはアメリカならではなのか、どうかは分からない。東京にいたときには、育児に対しても僕らが困る前に、すでにシステムやルールによって困らないようにされていた。名古屋にいたときには、システムは東京と同じような先進性があるが、システムを理解しないことから起こるヒューマンエラーで困ったりもした。日進では、全国的というより、近隣市町村から見ても遅れているシステムやルールが障壁となり、状況やロジックをいくら説明しても無駄だった。アメリカには、よくできたシステムやルールもあるし、信じられないようなヒューマンエラーも発生する。東京ではヒューマンエラーも少ないけれど、ロジックや状況をもとにした人間同士の話し合いから状況を好転させることも少しくらいならできた。ただ、名古屋に来て、そして名古屋よりもシステムやルールがやばい日進に来て思うのが、あのいい加減で意味不明なことが多かったアメリカよりも、僕は異文化に来てしまったということだ。それは僕が理屈っぽく、理詰めの弁論術を愛しているからかもしれない。そうなると、僕は日本人で東京育ちなんだけど、どうやらアメリカが、ボストンが性に合っていたということかもしれない。