いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

いい加減に困る!<1>(ボストン篇)<いい加減な国だけれど良い加減になること>

「他所から来た人は、だいたい来た土地に不満があるものだ」(長女6ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

はじめて他所の文化の中で生活する人というのは、多かれ少なかれ不満を抱くモノだ。僕のように、東京で育ち、ほんの数ヶ月くらいの海外を含めた滞在はあるにしても、一年、二年としかも現地で子育てなどをした経験のない者は、ままにならない移住先に戸惑いを覚えたり、苛立ちを覚えたりもする。移住先が言語も異なり、文化、習慣も異なる異国の地であれば、不満というのか文句というのか、生活のちょっとしたことが思うようにいかないことに苛立つことも増えてしまう。

 

もちろん、海外で数年暮らした経験がある方や、若いときに遠くから身寄りのない東京などの大都市に出てきて住んだ人などは、ある程度、そういった別の文化、習慣に対する耐性みたいなものもできていて、ストレスもそこまで感じないかもしれないし、異なる文化、習慣が好きという人もいるだろう。妻はそんなタイプだったので、僕ほどにはストレスも感じないようだった。まあ、育児にしても僕らは初めてだったので、育児を取り巻く環境が変わったことへのストレスはそんなになかった。それに今考えれば、育児環境においてはアメリカの方が手厚い部分も多くあった。とくに障害児、自閉症児に対しては、少なくとも、現在住む、日進市とは比べものにならないほど、親切で論理的だった。

 

これは平等と公平の話のときに書いたかもしれないけれど、日進市の問題は、平等性のことしか考えられないので、障害児とそうでない児童をいかに平等にするのか、というときに、障害児へのフォローを減らして障害を有しない児童と平等にしようという方針であることが多いということだと思う。法令などで違法とされない限りは、障害児への優遇はしないようにするというものだ。つまり、日進市役所の場合は、日進市民が障害児への優遇を不平等だと感じるだろうから、不平等だと言われないギリギリを攻めるという態度であり、これはまあ、日進市民の合意を得ているわけではない方針だと思うけれども、みんな平等、という言葉によって差別的な対応が大手を振ってなされていた昭和を思い出す。昭和は東京でもそんな感じの学校の先生がいたし、障害児などに対する優遇措置をエコ贔屓と言って批判する児童や親もいた。恥ずかしながら、小学校三年生の僕もそういった公平性というものを考えたことがない、平等しか知らない児童だった。あの頃の僕に公平性を論理的に教えることができる大人もいなかった。ただ、平等性を武器に公平性を攻撃する自分自身に違和感や罪悪感がなかったかといえば、当時の僕ですら、少しはそんな気持ちを感じていたというのも正直なところだ。ただ、よく分からなかった。

 

もちろん、「こどもはみんな一緒」というのは、配慮をできるだけしないことで平等とするという意味ではなく、配慮を行いながら公平を目指すというもので、この辺の匙加減は、意外と難しい。難しいものだから、機会的に平等という視点で処理してしまう。とくに田舎になればなるほど、平等と公平の違いに気がつかないものだ。公平性のための優遇や配慮は、不平等である、としか考えられないらしい。そういえば、僕の母などの年配の方も、このあたりのことがよく分からないという人が多い気もする。これはこれで文化の違いというやつなのかもしれないし、おいそれと超えられる壁でもないのだろう。壁を超えるには、理性や愛情が必要なのかもしれない。論理と情熱だ。

 

さて、そんな日本の愛知県の日進市のことはさておき、平等と公平に対して明確な違いを多くの人が見出せるアメリカのことを書こう。小泉八雲マッカーサーが日本人は子どものようだと言ったことも、どうやらこの辺の違いを指しているような気もする。もちろん、アメリカにもこの違いがわからない人も多くいるけれども、市役所や学校、育児に関わる職業の人たちの場合は、この違いを何度も議論しているからなのか、僕などは、彼、彼女たちから教わったりしていた。そのため、ボストンに住んでいたときに感じた不満、文句というものは、日本でのように公的機関に対してというよりも、個人に対して向けられるものが多かった。当時、僕は口癖のように、「アメリカはシステムだけはちゃんとできているのに、人間がいい加減だからちょくちょくバグらせている」というものがあった。

 

TDバンクで、僕らの口座を作ったマネージャーが僕らの書類を鍵付きの引き出しにしまったまま、仕事を辞めてしまったせいで、僕のクレジットカードがなかなか送られてこなかったという話はすでに書いた。アメリカといっても、TDバンクは確かカナダの銀行だけれども、その辺はまあ一緒ということにして考えることしないと出鼻が挫かれてしまうので、気にせずに進めることにする。

 

アメリカではシステムがちゃんとしている。まあ、銀行であればどこもシステムはちゃんとしていると思うけれども、そう書くと、システム障害をよく起こしている某銀行のことを思い出してしまった。そのことはさておき、顧客の財産などを預かる銀行であれば、システムに問題があると大ごとになってしまうため、他の機関よりもシステムはちゃんとしているに違いないと僕は思うし、TDバンクのハーバードスクエア支店の人たちも、僕以上に、TDバンクのシステムを信じていた。そんなTDバンクのシステムの要となる顧客情報に問題があった。TDバンクで口座開設の手続きをした僕の口座が存在していないことになっていた。キャッシュカードがいつまで経っても来ないことを不審に思って窓口に行って問い合わせたときに、僕の口座がないからキャッシュカードが届くわけもない、と言われてしまったのだ。

 

いい加減に困る!<2>(ボストン篇)に続きます。