いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

送迎に困る!<上>(自閉症児篇)<療育は大切な場所>

「送迎付き療育がない」(長女5歳6ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女は自閉症と軽度知的障害だ。ボストンでは早期介入のプログラムに参加し、言語や視覚支援、食事等の生活習慣などのケアを受けていた。東京に戻ってからは、言語や生活習慣を中心とした療育に通っていた。

 

東京で通った療育では、先生たちが細やかに対応してくれたということもあって、長女自身も少し楽になった部分があるかもしれないけれども、それよりも、保護者である僕らが今後、長女とどう向き合っていけばいいのかという方針を教えてもらったというのが大きいかもしれない。ボストンでもそうだったけれど、障害児へのケアは同時に障害児の保護者へのケアがワンセットになっていると思った。

 

僕らにとって療育は欠かせない存在になっていた。

 

名古屋に引っ越してから、三つの療育に通った。

 

最初に通ったのは、名古屋市内にもいくつも施設を持っているところで、集団生活に馴染むための療育を目的としたところだった。これはこれで大事なことではあるのだけれども、どうにも長女には合わなかったようで、まだ発語ができなかった頃というのもあり、療育の建物の前で泣き出すようになるまで、長女が嫌がっているということにも気がつけなかった。

 

ある雨の日に、長女と療育に出掛けて、療育の建物の前に来た。そのとき、多少、嫌がるようなそぶりを見せたけれども、嫌がっているのは、スーパーでお菓子を買って欲しいのに、長女にとって目当ての場所じゃない療育の建物だったからだと思って、「あとでお菓子買いに行こうね」と言いながら、抱っこして建物の入り口から階段を上がった。

 

女が暴れ出した。階段を登っている最中だから危ない。雨で持ち物も多いし、カッパや傘の水で僕も濡れる。どうにか療育の入り口まで連れて行って、雨具をしまって、部屋の中に入ろうとすると、ますます暴れて泣き叫ぶ。発語ができないというのはこういうときにとても困る。どうしたいのかが分からない。

 

「行きたくないの?」と聞いても、伝わらない。ただただ泣いていた。長女が落ち着くのを待ってから、療育の部屋に入った。療育には入り口の前から電話して、落ち着いたら入室すると伝えていた。このことは前にも書いたけれども、入室すると、長女のことを心配してくれたのか、数人の先生たちが長女を出迎えてくれた。出迎えの人の多さに長女はまたパニックを起こして泣いてしまった。「いやなの?」と聞くと、そのときは、激しく首を縦に何度も振った。こういうときの長女の泣き顔と必死な身振りは見ているだけで胸が苦しくなる。自分の思いを伝えることができない苦しみを、彼女はずっと味わっている。

 

このときの対応が全てではないけれど、なぜ、この療育を長女がいやがったのかは分かる気がした。集団生活に馴染ませるための療育だからか、多くの人が一斉に現れたり、口々に長女に話しかけたりしてしまう。長女は言語認識が劣っているため、口々に何かを言われてしまうと、それがいかに優しい口調で気遣われた言葉であったとしても、パニックを起こしてしまう。社会生活を営むためには、そのような状況に慣れなければならないというのは分かるけれども、僕から見ても、今の長女にはまだ少し早いような気もした。

 

この療育の先生たちとも話し合ったが、ここにはここの考え方があるということで、僕らはこの療育に通うことを諦めるしかなかった。家から近いし、歩いて通えるから場所をとしてはよかったのだけれど、長女が嫌がっているし、話し合いもできそうにないのだから、仕方ないことだった。

 

送迎に困る!<中>(自閉症児篇)に続きます。