いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

移住先に困る!<2>(自閉症児篇)<障害児や多胎児が育てやすい移住先はあるのか?>

移住先に困る!<1>(自閉症児篇)の続きです。

 

移住先を探すにあたって、障害児や多胎児を育てる家庭の場合は、立地や交通の便などよりも、各市町村がどんな施策を行なっているのかということがとても大事に思えてくる。しかし、なぜ障害児や多胎児に対して、政府や各市町村は配慮や支援をするのだろう。それは単に、妊娠出産、そして子育てをする上で、誰であっても障害児や多胎児を育てることになることがあるからだ。特定の誰かに便益を図るものではないことから配慮や支援が検討されている。つまり、障害児や多胎児を考えると、出産や子育てにはリスクがあると思われているからだ。

 

困ったことがあった。

 

障害児や多胎児がリスクになると思うのは、子供を授かる決断の中で、障害児や多胎児が生まれたら、満足に育てられない、あるいは自分の人生が激変する、などといったことを考えるため、妊娠、出産がリスクあるものになる。で、そんなリスクを抱えたくないから、子供はいらない、という判断をする人がいるのは当然だし、僕にしても、そういったリスクがあるからこそ、子供はいらない、と思っていた。

 

そして今、僕には、障害児と、そして双子がいる。恐れていたと言ったら大袈裟かもしれないが、最初から障害児と双子が生まれると知っていたら、僕は子どもが欲しいと思ったのだろうか、今は3人の子を見ながら、この子たちがいない僕の人生なんてありえないと思うし、生まれてきてくれてありがとうと心底思えるけれど、もし、この子たちに会う前に、障害児と双子が生まれると分かっていたら、僕はどう思ったのか、思っても仕方ないことなのに、ふと思うことがある。もちろん、政府の方針や法律は、こういうことを思わないようにするために作られたのだろうが、いま住んでいる市のように、障害児、多胎児の育児に対して、きびしく突き放すような市の対応に出会うと、ふと、それこそ、ほんの一瞬、ほんの一瞬でも罪悪感が生じるほどの一瞬間だけれど、そんなことを思ってしまう。もし生まれてきた子が普通だったら、1人だったら、市役所にこんなにお願いすることもなかったろうし、政府通知や方針も熟読しなかっただろうし、市役所からクレーマー扱いされることもなかっただろう。僕もきっと、妻と子どもと3人で休日には子供を真ん中にお出かけしたり、習い事をさせてみたり、お受験のことを考えてみたりして、市行政に文句を言うこともなく、市区町村による取り組みや姿勢の違いに気が付くこともないまま、育児をしていたのだろうと思う。たまにベビーカーに怒鳴りつける大人をあやしたりするくらいだったろう。

 

前置きが長くなりすぎてしまったけれど、障害児、多胎児を授かっても、明るい気持ちで育児ができるような社会になればいいと思っているし、僕のように一瞬の罪悪感が生まれることがない市行政の対応があればいいと思っている。ここで市行政の対応というのが出てきてしまうのは、最初に戻ると、僕がそこそこ多くの地方行政による違いを知っているというのがあるからだと思う。

 

アメリカにいたときの市は自閉症児にとても手厚い福祉サービスがあって何度も助けてもらっていた。東京に戻ってからも市役所が最も力強い味方になってくれた。名古屋では保育園の主任に振り回されたけれども、市行政としては障害児や多胎児に対しての基本的な配慮はなされていた。ただ、いま住んでいる名古屋市の隣市であるところの日進市だけが、障害児、多胎児の育児に対して基本的な配慮や対策をしないと強弁している。まあ、日進市は田舎だから、田舎はそんなもんだよ、ということかもしれないし、僕が田舎を知らなかったということなんだろうけれども、田舎だからといって日本国から独立したわけでもあるまいに、と何度も口に出した。地方自治というものが時に横暴であることを知らなかったというだけかもしれない。市の職員たちからすれば、政府方針に対応するなんて面倒くさい、そもそも育児は保護者に第一義的な責任があると法律にも書いてあるのだから、コロコロ変わる政府方針なんかに付き合ってられるか、という考えかもしれない。そんな市に移住してしまったことも、僕の自己責任と思う人もいるだろうし、僕もなぜ、こんな市に土地まで買って、家まで建ててしまったのだろう。つまり、移住先に失敗してしまったということだ。

 

なぜ、僕は、最後の移住先選びを失敗してしまったのだろう、と後悔をしても仕方ないので、この失敗から何を学び、何ができるのか、ということを考えてみたいと思う。

 

移住先に困る!<3>(自閉症児篇)に続きます。