いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

移住先に困る!<1>(自閉症児篇)<移住先に失敗しないために>

「障害児が育てにくい市町村を見破る」(長女4歳8ヶ月、双子2歳7ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

僕らは何度か引っ越しをしている。結婚して現在までとなると大小合わせて7回ほどの引っ越しをしている。日本国内で4カ所の市区、アメリカでは2ヶ所の市を経験した。日本でもアメリカでも市や区ごとに異なる施策を行なっているため、文化や習慣の違いよりも、各市区町村がどのような取り組みを行なっているのかという違いから、良かったと思うこともあるし、残念な思いをすることもある。ちなみに、土地を買って家まで建てた現在の市は、施策や対応となると、最も子育てや障害児、多胎児に対して厳しい市だった。それでいて、「子育てしやすいまち」を目指しているのか、すでにそう自認しているのか分からないけれど、すぐに字義通りに解釈してしまう僕のようなタイプには、この市というか市役所に対して、日本語の難しさを教えてくれる以外に感謝するところはない。

 

ちなみに、市役所とは別に保育園や療育センターなどの人たちはその前に住んでいたところよりも、気さくで、育児をしているとちょっとしたことで困ることがあるけれども、現場ではちょっとした気遣いをしてもらえることも多いので、とても助かっているし、子どもたちが直接触れ合う人たちはとても良い市だと思う。でもそれは、市行政の圧政に苦しむ市民たちが互いを慈しんでいるということなのかもしれないが、住民や現場だけみれば「子育てしやすいまち」になる。これも字義通りに書くならば、「市役所は子育てのしやすさを特に心がけているわけではないが、市民や子育ての現場で働く人たちの個々の自助努力によって子育てのしやすいまちを目指している」というのが実際のところだろう。市役所にしても子どもの施策に関係のない部署の人たちも同情的だったりもするので、気持ちは「子育てしやすさ」に向いているけれども、相談に乗ってくれる以外にはとくに何をしてくれるわけでもない、前例踏襲ばかりの部署などでは前例を批判しないように、近年の「子育て」ブームに乗らないようにしているのかもしれない。少子化を目指す施策を行っていた前例と、少子化対策をしようという現在の方向が真反対にずれたまま、どうにもできなくなっているのだろう。大きな方向転換についていけないまま、ずるずると10年以上続けている。きっと、育児は保護者に第一義的責任があるという前提を押し通した過去を変えられずに、そのときに作った施策をそのまま誰も変えようとしないまま、当時の主事が係長になり、係長が課長補佐になり、課長補佐が課長になり、課長が部長になっていったのだろう。変なことをしなければ、きっとそんな感じで日々の業務をそれまで通りに仕事仲間に迷惑をかけずに行えるのだから、よっぽどの革命児や意識高い人がいるか、市長や市議会が前例を問うタイプの人だったりするか、法律で決めるくらいの強制力があるものでなければ、地方行政は変われない。条例や計画はほとんど無力だということも、この市に住んで学んだことだった。

 

内閣府少子化社会対策大綱によって、それまでの自己責任論的な育児とは逆の方向になったことは、育児ウォッチャーの人たちなら知っている。賛否はあれども、昭和や平成の頃とは育児に対する行政の対応が大きく変わってきている。また、障害児、多胎児、そして最近も話題になった多子に対してはとりわけ配慮、支援を行うように政府が要請や提案をしている。多子に対する優遇措置に疑問を思う人が多いのは、多子を優遇するということは困窮を救うための優遇ではなく、単に、少子化社会対策として、夫婦が2人であれば子どもは3人以上でなければ、少子化からくる人口減少に立ち向かえないという思惑が強いというのがあるからだと思う。多子の家庭が困っているから支援するということではなく、多子の家庭が増えないと政府が困るから支援する、ということでしかない。多子であるうちにとってはありがたいけれど、なんだか人口増加のための政策と育児をしやすくするという配慮や支援の政策は同じ少子化対策であったとしても、別の言葉で語った方が印象も変わるような気もしている。産めよ殖やせよ、といった言葉がチラチラ浮かんでしまうからなのかもしれない。

 

障害児や多胎児への配慮や支援は、多子とはまた違う状況がある。これはちょっといやな気持ちをする人もいるかもしれない話だけれど、つまり、障害児や多胎児が育児をすることへのリスクとして考えられているということだ。出産して生まれた子供が障害児だったらどうしよう、多胎児だったらどうしよう、その場合も、これまで通りの自己責任論的な育児環境だったら、子供は産まない方がいいのではないか、と思う人もいる。もちろん、僕にしても、妻にしても、生まれた子供が障害児だったらどうしようか、と子供を授かる前に何度も話し合っていた。そのときは少子化社会対策大綱も障害者差別解消法も知らず、というか、まだ二つとも公布されていなかったか、まとまっていなかった時期だったかもしれないが、生まれる子に障害があるかも、多胎児かもという不安の中で、子供が欲しいと願った。そんな決断や覚悟の中で子供を授かった人も多いと思う。

 

移住先に困る!<2>(自閉症児篇)に続きます。