いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

子供部屋に困る!<2>(新築篇)<乳児のための部屋は必要だと思った。>

子供部屋に困る!<1>(新築篇)の続きです。

 

育児をするにあたって、快適に、というレベルの話ではなく、必要な物として、子供部屋というのがあると思う。アメリカなどでは生まれたての子供に1人の部屋を用意するという考えが根強い。もちろん、アメリカとはいえ狭い部屋で暮らしている人もいるのだから全てというわけではないが、乳児に対して1人の部屋を与えるということに対して疑問を差し挟む人はあまりいない。実際、乳児のための部屋があると、乳児専用部屋ということもあって事故になりそうな物を置かないようにすることができるし、窓やドアもロックしやすい。乳児の安全性確保のために乳児から部屋が与えられるということなんだろう。そんなアメリカナイズされた考え方で、アメリカ帰りの僕らも乳児たちに部屋を与えることに抵抗はなかった。そして乳児にとって安全で快適な部屋を作ると、育児もやりやすくなった。しかし、乳児もやがて幼児になる。子供に合わせて部屋も変化していく。

 

困ったことがあった。

 

幼児1人と乳児2人に対して子供部屋が1つだった。長女には部屋がない状態になっていたけれど、リビングの一角を長女の部屋にし、寝室はベッドではなく布団にしていつでも長女の遊び場にできるようにしていた。もちろん、この状態で子供たちが大きくなったって問題はないと思う人も多くいると思う。子供部屋が1つあるのだし、3人の子供といっても3人姉妹、多様性を重視する今どきからすれば偏狭な見方になるかもしれないが、同性であれば同じ部屋でもそんなに問題はないような気もする。そもそも、子供部屋があるのだからそれだけで十分だろう、と考える人もいる。そう、僕のように子供部屋もない中で育った人間もいるのだから、子供部屋ひとつで満足することが、知足というものだ、とかなんとかいくらでも言える。しかし、そんなことを言ったら、あれもいらない、これもこれで十分じゃないか、ということで、世の中にたくさんある選択肢のほとんどがいらないということになる。ご飯は栄養が摂れれば十分だし、教育にしても義務教育で十分、仕事にしたって、最低限の生活をするのだったら、仕事をする必要だってないのかもしれない、という極論に至ってしまうかもしれない。

 

僕が言いたいのは、そういう足ることを知るみたいな話じゃない。できるだけストレスなく、育児をするにはどうしたらいいのか、ということを考えたときに、部屋数、というのがあるという話なのだ。

 

双子が乳児から幼児へと成長するに従って、双子の部屋は幼児の無法地帯となった。こうなってくると、乳児のための子供部屋ではなく、幼児のための子供部屋ということになり、長女もそこで寝起きしたらいいのじゃないか、という気もした。しかし、子供部屋の新参者である長女は双子たちの部屋では肩身が狭いらしい。それに幼児とはいえ、それぞれに何が自分の物で、何がシェア可能かというのが朧げながら出てきた。所有という人類史をめぐる概念についてあれこれ考えるのは、もう少し成長してからだろうから、幼児である3人もまた人類が飽くなき争いを続けているところの所有を通し、飽くなき争いを繰り広げるようになってきた。

 

しかしまだ幼児だ。幼児であれば、一つの部屋の中で揉めていても多少うるさいけれども、そもそも体のサイズが小さい。6畳の部屋も幼児3人なら広すぎるくらいだ。まだ幼児のうちは、子供部屋がひとつでもいいかもしれない。そのうち体のサイズが大きくなっていったらどうなるかは分からない。意外と、3人による力の均衡が起こって三国志じゃないが天下三分の計が成立するかもしれない。

 

大きくなってからの領土争いは過酷だ。僕の子供時代の話になるけれど、子供部屋すらなかった僕と弟は成長するにつれ家に帰らないという選択肢を取るようになった。僕も弟も足を組んで寝る癖があるけれど、それは狭い部屋に家族が川の字に寝ていたということもあって、家具やら何やらに取り囲まれていたため、大きくなってくると足を伸ばして眠ることができないために必要に迫られてできた癖だった。無理矢理に足を伸ばすことはできなくはなかったけれど、足を伸ばすときには斜めに寝なければならなかった。僕が足を伸ばすと弟の布団を侵略することになってしまう。中学生くらいのときには、寝ているときにお互いの足を蹴り合ってそのまま喧嘩になることもあった。喧嘩を避けるために、足を組んで寝るという平和的な寝相が開発されたのだった。

 

子供部屋に困る!<3>(新築篇)に続く。