いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

双子出産に困る!<5>(ボストン篇)<双子の誕生。妻の計画通りだった>

双子出産に困る!<4>(ボストン篇)の続きになります。

 

妻プランは順調だった。ただ、そのプランの中で僕がわたわたとしているだけだった。渡米前に最初の子供を産み、ボストンにいるときにも出産する。子供の数は合計3人という妻の計画は、もっとも短い期間で達成されることになる。このスピード感についていけないが、ついていくしかない。何があってもいいようにするには、僕は僕で準備をしなければならない。英語ができないのであれば、翻訳機を使う、とかそんな準備だ。しかし、そんな僕の不安のための準備などを嘲笑うかように、妻の計画は順調に進む。出産では、通訳システムも機能しないまま、不安の出産立会いとなった。もし何かあったらどうしようとよからぬことを考えてしまった。結果は、だいたい妻の思い通りになっているのに。

 

困ったことがあった。

 

通訳もなく、そして他の方の出産で数時間待たされた僕らの順番がやってきた。スマホは不衛生だから置いていくようにと言われた。そして手術室に行った。手術はすぐに終わった。次女が取り出され、1,2分後(体感です)には三女が取り出された。

 

「ほら、スマホで写真とりなさい。ビデオ撮りなさい」

 

と、僕にスマホを置いていくようにと言ってきた看護師さんから言われた。アメリカってこんな感じだ。自分で言ったことをすぐに忘れる人が多い気がする。これはこれでアメリカで生きる知恵なのかもしれない。細かいことにこだわっていてはアメリカでは生きられない。

 

母子共に無事、という感じだと思った。ワゴンに乗せられた新生児を新生児室みたいなところに運ぶのは僕の仕事らしい。案内されながら新生児室に子供たちのワゴンを押しながら移動した。二つのワゴンを同時に押したりするのは、なぜか僕は昔から得意だった。ガーゼか何かで顔を拭いたりした。指の数なども確認するということだった。しかし、今回は2人だ。僕を案内した看護師さんが何かを言っていなくなった。聞き取れなかった。誰もいない場所に赤ちゃんと2人きり、いや3人きりになるのはちょっと心配だった。次女を綺麗にし、三女も拭いて、指の数などを数える。看護師さんがいなくなったのは、どういうことだろうと思っていると、看護師さんが医師と一緒にやってきた。三女のことを見ている。そして三女が運ばれていった。これはなかなか心配だ。僕の疲労なのか心配なのか分からなくなったひどい面つきを見た看護師さんが何かを言っていた。心配するな、みたいな感じだった。で、詳しく聞いてみた。

 

「チアノーゼが出ているが、心配しなくていい」

 

チアノーゼはボクシングの漫画のお陰で知っていた言葉だった。酸素が足りないとかそんなだったと思う。その後、医師からも説明があり、三女のみ退院が遅れるけれども、よくあることだから心配しなくてもよいということだった。早くて一週間くらいで退院できる。ちなみに、三女は二週間後に退院した。

 

妻の産後も順調で、広々とした個室の病室で病院食とは思えないような量のご飯を食べていた。メニュー表を渡されて何をいくつ頼んでもいいというのがアメリカ式だ。そういえば、病院ツアーのときにも、病室にコーラが三本運ばれていたのを見た。さすがアメリカだ。東京で妻が出産した病院はいいところもたくさんあったけれど、食事だけはちょっと無理という感じの食事だった。祝膳みたいなものが出たけれど、呪膳に近いものだと思ったくらいだ。小さな鯛が哀れだった。

 

妻が出産した日、長女を預けていたファミリーのもとに長女を迎えに行った。きっと泣いているだろうと思った長女は思ったよりも楽しく過ごしていたようで、ファミリーに別れを告げているときに泣き出して、そのまま泣きながら家まで帰った。長女の機嫌を取るために買ったプリンセス風のシャンプーハットをしてシャワーをしたら、また泣かれた。そんなときに、長女が僕の股間を凝視していたので、僕は男性の尊厳と言われる箇所についている袋をぶらぶらとやってみると、笑い出した。それから妻が退院するまで、僕はこの袋を揺らして長女のシャワーを行っていた。この袋はやはり子供のためにあるらしい。

 

妻が次女と一緒に退院した。徒歩でというか、双子用ベビーカーを押して迎えに行った。長女をベビーカーに乗せ、もう片方は簡易型のベビーベッドみたいなものが取り付けられるものだったので、そっちは次女が乗る。妻は退院とはいえ産後なのだから、途中でウーバーにでも乗ればと言ったけれども、入院中に食べ過ぎたから少し歩きたいということで家族4人で帰った。三女はまだ入院中だ。家族5人だったら、病院からの帰宅も大変だったろう。

 

ここでも妻のタイミングの良さがあった。2年ぶりの新生児ということもあって、新生児育児モードに切り替える時間が必要だった。次女だけだったということもあって、どうにか新生児育児を思い出しながら、混乱せずに育児環境を整えることができた。これでもう1人増えても大丈夫、と思った頃に、三女の退院となった。一気に、双子とならずに、時間差で三女を迎えられたことがとても助かった。この二週間で妻も体力を取り戻し、産後の最も辛い時期を抜け出し、育児ができるようになっていた。僕は僕で産後の妻と、長女の育児、新生児の次女の育児ということで体力の限界だったから、三女の退院に時間差があって救われていた。妻のタイミングの良さは、やはり人生に愛されているのかもしれない。

 

そして、双子も順調に育ち、無事、帰国することができた。帰国後の妻は育休期間をフルに活用し、短期間で子供3人を儲けて、計画通り何の問題もなく職場復帰を果たしていた。これが計算された出産計画だったら、僕は妻の手のひらだ。偶然だと信じたい。そういえば、日本に帰国してしばらくすると、コロナ対策とか何かで政府から1人10万円もらえた。0歳の双子までもらえた。アメリカにいたら、この1人10万円ももらえなかったのだから、タイミングのいい帰国だったと思う。もし、僕1人で海外にいたら、きっとこの10万円がもらえないタイミングで帰国していたに違いない。