いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

双子出産に困る!<1>(ボストン篇)<妻の人生計画は順調だ>

「双子はボストンで生まれた」(長女2歳1ヶ月、双子誕生)

 

困ったことがあった。

 

妻は人生に愛されていると言われることが多いらしい。そう言われることの原因の一つが、人生計画が妻の思い通りに行っていると周囲に思われている、というのがある。人生計画というのはままにならないものだけれども、妻の場合は周到な計画をしているわけでもないのに、まるで周到な計画をしているかのような結果になることが多い。僕の場合は、よく人からタイミングが悪い人と言われる。

 

タイミングの悪さ、と言ってもなんだか伝わりにくいかもしれない。僕はいわゆるロストジェネレーションと一時期、言われた世代だ。進学のタイミングでバブルが弾けてしまったり、賃金が安いのにデフレもはじまっていなかった。高校生のときのバイトの時給は800円いかないものが多い中で、吉野家の牛丼並は400円だったし、マクドナルドのハンバーガーも200円以上したような気がしている。これらの値段が急激に安くなった頃には、僕は僕でそこそこ稼げるようになってからだった。タイミングの悪い世代だ。

 

世代的なタイミング悪さと個人的なタイミングの悪さが重なっている。何かに選ばれたりしたときにも、競合相手が2世だったり、強力なコネがあったりすることが多く、その度に、「去年だったら君だったのに」などと言われたりもした。年長を重んじろと言われて少し上の世代に仕事が取られ、そのあとは、年少を育てろと言われて、仕事を譲ってきた。これもきっとロスジェネあるあるなんだろう。

 

個人的な些細なタイミングの悪さは数えればキリがないけど、たとえば、海外に少しいたときにしても、日本円を持って行ったときには円安で、海外でお金をもらって帰国するときには、円高になっているということがあった。そう、リーマンショックの前後に海外にいた。そんな感じのタイミングの悪さはたくさんある。最初の結婚が失敗したのも、こういうタイミングの悪さが重なったというのがある。

 

今の妻と結婚することになったのは、ちょうど僕が前の妻との離婚が決まり、僕自身は人間不信のようになっていた頃だった。日本にいるのも嫌になって、日本での仕事は全部やめて海外にでも行こうかと思っていた。そんなときに、今の妻と数年ぶりに再会して、僕が離婚することや海外移住でもしようかと思っていることをふと話した。今の妻は今の妻で、ボストンに行くことが決まっていて、その準備をしているということだった。偶然というのは恐ろしいもので、当時はお互いの仕事に関心があるだけくらいの友人関係とも言えない関係だったのだけれど、何気ない再会から連絡を取り合うようになって、離婚をした僕は今の妻と付き合うようになっていた。

 

これからが、妻の計画通りになる。用意周到な計画なのかどうなのか、それは本人しか知らない。

 

妻はボストンに行く前に子供が欲しかったそうだ。しかし、現実には子供が欲しいといっても相手もいなければできるものでもない。それにすでにボストンに行くことが決まっているということからも結婚、出産ということを考えれば、時間はあまりない。結婚、出産がとんとん拍子にいかなければ、妻の希望は叶えられない。それにボストンに行くということは、結婚相手も仕事をやめるなりなんなりできる人間でなければならない。ボストンで2年間主夫業ができる人間となる。そんな相手はなかなか見つからない。しかもいやいやではなく、本人が望んでいるという形でだ。僕がその条件を満たす人間だった。僕自身はそれまでの生き方や生活を変えたいと思っていた。子供が欲しいと思ったことは一度もないけれども、子供できるということは僕自身が生まれ変わるに近いことのようにも思えた。

 

今の妻と結婚して、すぐに妻は妊娠した。妻の妊娠は妻の職場環境からするととてもタイミングが良いものだった。仕事が比較的暇なときに妻のつわりがひどかったが、仕事が忙しい時期はちょうど産休に入ることができた。妻は周囲の女性たちからは、タイミングのいい妊娠時期ということで羨ましいと言われたらしい。産休の時期に、妻の同僚が妊娠時期についての相談をしに、うちに来たことがある。妻の妊娠は、それだけ計算高い妊娠に思われていたようだ。そして長女の出産。出産から五ヶ月で渡米になったけれども、これも飛行機に乗れる月齢に達していたため渡米ができた。

 

そしてアメリカ、ボストンだ。ボストンでの妻の仕事は東京での仕事ほど忙しくはないというのもあって、産後の体力回復や子育てにも時間が割ける感じだった。これも人生に愛されていると言われる計算高さに思われたらしい。妻のボストンでの仕事は、雑務がなく、自分のやりたいことだけがやれるという状況で、空いている時間は育児をするけれども、育児と家事の大半は主夫である僕がやっていた。また、当時は子供が1人だったので、育児は大変とは言いながらも、僕1人でもどうにかできる状況だった。育児ノイローゼにはなったけれども、子供1人であればギリギリ持ち堪えることはできた。妻は比較的自由に動き回れた。

 

双子出産に困る!<2>(ボストン篇)に続きます。