双子出産に困る!<2>(ボストン篇)の続きです。
妻の人生計画においては、子供は5人ということだった。どこまで本気かは分からない、そしてなぜ子供を5人欲しいのか、理由を聞くのも怖くて聞けなかった。ただ、1人目の妊娠と育児だけで手いっぱいな僕からすれば、5人というのは過労死ラインだということは分かった。妻は5人はさすがに無理そうだから、3人にするという新たなプランを打ち出してきた。妻には、頼むから、後1人だけにしてくれ、子供は全部で2人にしてくれ、とお願いし、妻もしぶしぶ子供2人という家族計画に従ってくれた。しかし、実際に、妊娠してみると、双子だった。
困ったことがあった。
とはいえ出産。どんなことが起こるか分からない。出産の際に、妻や子供の状態が悪ければ、帰国も予定通りとはいかない。帰国予定から、数週間、数ヶ月、帰国できないということもあるかもしれないし、そんな話もたまに聞く。そのとき、僕らの経済状態はどうなるのかなどなどと考えると、海外での出産がいいことかどうかは分からない。ただ、妻の場合は、そういう大きな決断の際に、これまでもうまく行ってきたという人生計画強者としての自信があった。僕なら必ずといっていいほど、よくないことが起こるから、そんな決断はしない。
そうそう、妻が人生に愛されているということを信頼している僕は、我が家での大きな決断は、タイミングも含めて妻がする、ということにしている。例えば、家を建てたいと妻が思ったなら、きっと、そのときが家を建てるベストタイミングに違いないということを信じて、僕は情報を集め、計算をして、妻に報告し、決断する。妻の「こうしたい」はうまく行ってしまう、僕がやるのは、「じゃあ、そうしよう!」というだけだ。
僕だったら、海外での妊娠出産というリスクが多すぎる決断はしない。しかし、妻は海外での出産も妻の望みということで時期的にも帰国まで多少のゆとりがある時期に、そして望外のもう1人も授かる双子妊娠ということになった。
双子妊娠ということで、つわりもなかなかひどかった。とはいえ、2回目の妊娠ということもあって、ケアする僕も少し慣れていたし、育児をしながらという困難さはあるにはあったけれども、ボストンではほぼ主夫業に専念していたということもあって、妊娠は順調だった。産院も決まり、双子ということもあって、妻が帝王切開を希望したため、出産日も決まった。その出産する病院はとても立派で、出産予定者を招いて病院のツアーなどもしていた。そういえば、日本の産院とかだと、妊婦の付き添いできた人が椅子やソファにどかーんと座って、他の妊婦が座れなくて立っている、なんて現象を見かけるけれども、アメリカだと、どーんと座っているのは妊婦ばかりで、たまに気が付かずにぼんやりと座っている付き添いの方がいると、一緒にいる妊婦が蹴飛ばすようにして、他の立っている妊婦のために椅子を空けたりしていた。この辺がアメリカのいいところだと思う。誰のための場所であるのか、という目的が明確なのだろう。日本だと、既得権益を主張するかのように、先に来たという理由だけで妊婦でもない付き添いの人がデーンと腰を下ろし、スマホをいじっている。まるで親戚の冠婚葬祭にいやいや来た中学生のようだ。
病院ツアーでは、付き添いの男性たちによる紳士対決みたいな感じになっていて、全ての妊婦の安全と安楽のために身を捧げるみたいなモードになっていた。エレベーターで移動するにしても、妊婦を優先するのは当たり前で、とはいえ、付き添いなのだから、一緒にいなければならない。そんなとき、看護師さんが階段の場所を教えてくれる。男どもは、階段を目指して笑顔で歩く。男たちの中で友情が芽生えていく。きっと、これが本当の意味でのマッチョってやつなんだと思った。もちろん、見た目にも老齢な男性や太りすぎている男性はエレベーターに乗る。これはこれで誰も責めないし、自然なことだと思った。
そういえば、東京で妻が出産したときに、産後検診か何かで病院に行くと、僕と同じように付き添いできた男性がいた。僕は看護師さんからも褒められるくらいマメマメしくするタイプなんだけれど、その男性のマメマメしさは抜きん出ていた。一つ一つの動きも素早く、そこまでやるのか、というくらいに奥さんを労っていた。夜のお店の人のように立膝で奥さんの要望を聞いていた。見た目は太っていて、そんな素早い動きができる感じもないのに、身のこなしは忍者のようだった。アメリカの太り過ぎている男性は、歩くのも大変そうだったけれど。
双子出産に困る!<4>(ボストン篇)に続きます。