いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

孤独に困る!<上>(ボストン篇)<ちょっと暗い話かもしれない>

「妻が一時帰国したこと」(長女7ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

妻の仕事でボストンに2年間ボストンに住んだ。ボストンに行くことは前から決まっていたし、決まっている中で長女が生まれた。幸いなのかなんなのかは分からないけれど、長女が5ヶ月過ぎてからの渡航ということで、長女もそして僕も妻と一緒に行くことになった。

 

長女が生まれる前は、アメリカに行ったらあれしよう、これしようなどと思っていた。その中には英語の勉強というのもあった。しかし、渡米前に長女が生まれて、日本での仕事も片付けて、乳児の育児をして、とバタバタとしていたら、アメリカに行ったら何をしようと考えていたことすら分からなくなって、気がついたら、僕にはしたいことなどなくなっていた。

 

ボストンに住み始めたときには、育児環境を整えたり、とりあえずの仮の住まいだったということもあって、その後の2年弱を住む地域を探すことや、日本からの郵送物のことなんかを気にしたり、ソーシャルセキュリティーナンバーなどの自分たちの身分証や、銀行口座の開設などやることが多かった。双子の乳児を世話した今からすればどうってことないことに思えるけれど、1人とはいえ、はじめての乳児の世話はそれはそれで大変だった。

 

妻が日本に帰らなければならなくなった。

 

妻のボストンの仕事は2年ということが決まっていた。そして帰国してからどうするかということも決まっていた。決まっていたけれども、次の所属先の形式だけとはいえ最終面接みたいなものがあって、それは日本でやらなければならないというものだった。

 

行かないで欲しい、とは言えないものだった。

 

いま思い出しても、アメリカにいる乳児の母親を形式的な面接のために一時帰国させるというのはどうかと思うけれども、そのときのお偉いさんの1人がオンラインではなく直接面接を主張したということだった。ちなみに、今はそのお偉いさんはいないらしい、出入り業者との不正が告発されて、妻が着任する前にいなくなったそうだ。変な主張をする人は変なことをしていたりする。

 

妻はこのことをすっかり忘れているようだけれども、僕はねちっこく覚えている。

 

いま考えれば、僕も乳児を連れて一時帰国すれば良かったかもしれない。そうしなかったのは、そうだ、妻の一時帰国分すら自腹で来いとそのときのお偉いさんが主張したというのもあって、ボストンでの2年間を緊縮財政でどうにかしなければと思っていた僕らにとって、数日の一時帰国は贅沢でしかなった。僕も妻も金銭的に頼れる人がいない。僕の実家はひたすら貧乏だ。学生時代から僕が親に仕送りしていたくらい貧乏だった。親父が死んでから仕送りはしなくてもいいことになったのは、絶縁していた母親の実家が母を金銭的に援助すると言ってくれたからだった。妻は実家と縁を切っていた。

 

あと思い出したのは、そのときはボストンで引っ越し先が決まり、契約やらなんやらでバタバタしたいたということもあって、僕がボストンに残って、ボストンの不動産屋さんとやりとりしていたというのもあった。これは運悪く、ボストンで作った銀行口座が妻の職場の小さい銀行みたいなところだったというのもあって、日本からの送金に時間がかかっていて、いっそ、一時帰国して現金を日本で用意して持ってきた方が早いのでは? とか話していた。

 

いろんな意味でやむを得ない妻の一時帰国だった。

 

そして、妻は帰国した。

 

羨ましいと思っていた。僕は、異国に乳児と二人きり。二人きりなら孤独とは言わないかもしれないけれど、ただ泣いて、ただミルクを飲んで、ただ排泄しているだけの乳児と二人きりは孤独という感じがした。はじめてのズリバイがささやかな喜びだった。

 

つとめて明るく楽しくやろうと思っていた。

 

そういうときに限って、立て付けの悪いドアの蝶番のネジが取れて倒れてきたりした。台所に蟻が侵入してきたりする。僕は運が悪いとよく言われる。

 

また住んでいたところのベッドはとても高い。乳児を寝かせておいて、よそ見でもしていたら落ちてしまう。しかし、日本から持ってきた簡易的なベビーベッドに寝かしていたら、それはそれでアリとかにたかられてしまうかもしれない。なんだか分からない不安が募り始めるのも、育児初心者だからだろう。

 

眠るのを諦めた。少しは寝たけれど、それはボストンに来てすぐ買ったバウンサーに長女を乗せて遊ばせているときや、ベビーカーに乗せて公園に行って日向ぼっこさせながらベンチでウトウトするような感じだった。

 

四日くらいそんな感じで過ごしていた。

 

なんて孤独なんだろう。道ゆく人たちからよく声をかけてもらっていた。アメリカらしい感じだ。もしかしたら、僕の表情がやばくて心配してくれていたのかもしれない。

 

妻は仕事のために一時帰国している。そして一時帰国なのだから知り合いにも会う。また、育児から解放されたというのもあるから楽しくご飯も食べたりしたという。そんなメールが来たりした。それに現金もおろしたり、必要なものも買ったりして、色々と忙しいみたいだった。その忙しさが羨ましかった。

 

僕がボストンの育児で最も強く感じたのは、とにかく孤独ということだった。これは帯同者が思う孤独なんだろう。妻にはあまり分からない類の孤独で、知り合いができても、何かで楽しんでいても、ふと、あのときの四日間を思い出してしまうことがあった。それから数ヶ月、育児ノイローゼになっていたんだと思う。

 

孤独に困る!<下>(ボストン篇)に続きます。