いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

クリスマスツリーに困る!<2>(主夫篇)<特別感が味わえるクリスマスツリー>

クリスマスツリーに困る!<1>(主夫篇)の続きです。

 

子供が生まれてから、世の中のイベント毎に敏感になってきた。思い出してみれば、僕も子供の頃は、年間行事が楽しみだった。芋掘りも好きだったし、豚汁やカレーがもらえるイベントも好きだった。思い出してみると、食べ物がもらえるイベントばかりだけれど、みんなで同じ物を食べるのが好きだった。まあ、給食も好きだったのだから、結局、食べられるのであればイベントは関係なかったのかもしれない。とはいえ、学校以外に取り立てて用事もなければやることもない子供にとって季節のイベントは特別な物だった。中でもクリスマスは、季節イベントの王者の風格がある。そのクリスマスを盛り上げてくれるのが、クリスマスツリーだ。

 

あるとき、父親が、クリスマスツリーを手に入れてきた。どこから、どうやって手に入れてきたのかは分からないけれど、我が家にクリスマスツリーがやってきた。僕ら兄弟は、クリスマスツリーに夢中になった。これこそが特別感だと思っていた。

 

困ったことがあった。

 

さて、そんな貧しい兄弟を夢中にさせたクリスマスツリーには、いくつかオーナメントがあり、あとキラキラモールとかそんな名前で知られるものが金色と銀色であった。そこに、雪を模したふわふわがあり、そして何よりも重要なイルミネーションまでついていた。このイルミネーションをつけていいのは、クリスマスイブとクリスマスだけの二日間に限定される。ちなみに、狭い部屋だったということもあって、60㎝のクリスマスツリーといえども、それなりに迫力があった。

 

このクリスマスツリーを毎年出すのを楽しみにしていたのだけれども、数年間使っていくうちに、僕が余計なことをしてしまって、たとえば、オーナメントを分解してしまったり、キラキラモールを切ってしまったり、ふわふわの雪を撚り合わせてしまったりと、そんなことを繰り返すうちに、どんどんみすぼらしくなり、小学校高学年にもなると、箱から出さなくなってしまったという結末を迎える。中学に入る前には捨てられていた。昔から、余計なことばかりしてしまう。

 

それからというもの、クリスマスツリーというのは、外で見る物と思うようになり、バイトができるようになると、クリスマスの日は、誰も入りたがらないからという理由で、クリスマスの特別さを失った僕のような者が働くようになる。僕にとってクリスマスは誰かのためのものであって、自分のためのものではなくなった。節分やお月見と変わりのないものとして、ただクリスマスのときには時給を上げてくれるバイト先もある、とかそのくらいだ。正月に働くと餅代をくれる職場もあった。ある意味で特別だったのかもしれない。

 

そんな僕も家庭を持って、子供が生まれた。乳児のときにはクリスマスのことをなんとも思っていない子供も、幼児になれば、クリスマスというイベントのことを知り始める。長女の場合は、軽度知的障害というのもあるからか、クリスマスが何か特別で、しかも楽しいものだということを知ったのは、4歳を過ぎてからだ。ちなみに、次女三女は3歳あたりからクリスマスを意識している。

 

クリスマスにはクリスマスツリーを飾る、ということを長女が知ってしまった。去年、そんなことを言い出した長女にクリスマスツリーをねだられた。しかし、そのときは引っ越す予定もあるというのと、3歳になったばかりの次女三女の前にクリスマスツリーがあるのは危険なことにも思われた。オーナメントが気になって、ツリーを引っ張って倒してしまうかもしれない。長女にはボタンを押すと光ってくるくる回るサンタを買い与えて、ツリーは来年ねと、約束をした。ちなみに、そのくるくるサンタは異常に電池の減りが早い。

 

その来年になってしまった。

 

クリスマスツリーに困る!<3>(主夫篇)に続きます。