いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

クリスマスツリーに困る!<1>(主夫篇)<まだ少し早いけれど、クリスマスツリーのこと>

アルザスツリーを買いました」

 

困ったことがあった。

 

育児をしていると、季節毎のイベントというものを大事にしないといけないような気がしてくる。正月にはじまって、節分、ひな祭りの後には、お花見、そして端午の節句、七夕があって、お盆がある。そのあとは、お月見やらハロウィンと毎月のように何かのイベントがある。そして来月は、イベント毎の中でも大きな注目を集めるクリスマスというやつがある。数日後にはこれもまた大型イベントの正月があるというのに、なんてことをしてくれたんだ、と思うくらいイベントで大忙しだ。

 

もちろん、子供が生まれる前から、このようなイベントは世の中にあったことは知っていた。僕が子供の頃にもこういうイベントはあったと思う。ハロウィンに関してはあまり記憶にないけれども、節分には豆を撒いて年齢の数を食べるとか、ひな祭りにしても男兄弟だったけれども、なぜか、なぜかの理由はあるときに母親からは告げられたが、軽く話せることでもないので、うやむやにしておくと、ひなあられくらいは食べた。こどもの日には柏餅を食べて、七夕にはお願い事をし、お盆は帰省する父の実家は遠かったので帰省することもできず、また比較的近い母の実家は出禁だったということもあって、とくに帰省の思い出もないが夏休みということで毎日遊んでいた。お月見は中秋の名月を楽しむような風流な家庭でもなかったから記憶に薄い。しかし、そんな中でも、クリスマスというのは、貧しい僕の家でも特別な何かだった。

 

クリスマスが子供にとって特別なのは、クリスマスプレゼントがもらえるというのが大きな理由なのだろう。貧乏とはいえクリスマスプレゼントくらいは買ってもらえた。もちろん、高額なものは買ってもらえない。小学校低学年くらいまでのプレゼントの方が値段はそこそこ高いものを買ってもらえていたかもしれないけれど、すぐに壊してしまうものだから、プレゼントは自然と廉価なものになったのかもしれない。ある時期からの記憶にあるのは、クリスマスプレゼントと誕生日には漫画本を一冊買ってもらえたというものだった。もちろん、続き物の漫画の最新刊だけ買ってもらうのだから、僕が持っていたキン肉マンは飛び飛びだった。それでもプレゼントが嬉しかった。人と比べると情けなくなるので、いつからかプレゼントやお小遣いを人と比べることはやめてしまった。

 

そんな貧しい家庭のクリスマスとはいえ、僕ら兄弟がクリスマスを他のイベントより特別に思っていたのは、毎回買ってもらっていたケーキが食べられるというのもあったけれども、それよりも何よりも、クリスマスツリーを飾るということが特別な感じがしたのだと思う。

 

我が家のクリスマスツリーは小さいものだった。60cmくらいのツリーで、赤い箱に白抜きで雪などの模様が入っているもので、普段は、父親が日曜大工で取り付けた吊り棚においてあった。釣り棚にある箱はいつも見えていたけれども、それが出されるのは12月中旬だった。クリスマスツリーが我が家に来たのは、僕が保育園の年長、年子の弟が年中の頃だったと思う。父親が買ってきたのか、もらってきたのかは定かではないけれども、というのも、父親はどこからか僕の欲しいものを手に入れてくることがあって、僕の愛読書となった百科事典や日本の歴史の本などをどこからともなく手に入れてきていた。もちろん新品じゃない。いま思い出してみると、そのときもクリスマスツリーも新品じゃなかったような気もするし、新品だったような気もする。

 

として、このクリスマスツリーは僕ら兄弟には特別なものだった。テレビなどで見る家庭みたいに、僕らの元にもクリスマスツリーがやってきた。これは余談だけれども、テレビなどで見る幸せな家庭、平凡な家庭というのが僕ら兄弟としては、立派な家にしか思えなかった。団地ですら、僕らが住むような団地よりも上等な部類の団地だった。キン肉マンのついでに、国民的有名漫画を例に挙げると、ドラえもんを見たときにも、のび太の家の裕福さに憧れたものだった。これは他の漫画やテレビ番組でも思ったことで、台所にテーブルがあるだけでも憧れたし、ダイニングテーブルで食事をしている写真を見るだけでも憧れた。そんなこともあって小学校3年生のときに、「明るい家族計画」と書いてある自販機の写真が、ダイニングテーブルにテーブルクロスが掛けられ、3人家族で、素敵なディナーを囲んでいるというものだったと思うけれど、その写真が掲示されている自動販売機は、テーブルクロスが売っているに違いない、しかも、500円ほどで、こんな素敵なテーブルクロスが買えるのだとしたら安いものだと思って、母親に、テーブルクロスの自動販売機について説明した。途中までは話を聞いてくれた母親も、僕が設置場所などを具体的に説明すると、話を切り上げてしまった。そして叱られた。そのときはなぜ叱られたのか分からなかった。

 

話が変な方向に言ってしまった。テーブルクロス1枚に憧れるような子供時代の僕に、クリスマスツリーがどれほど「明るさ」と「豊かさ」と、それはつまり、「普通の家庭」と同じだ、という気持ちにさせてくれたのか、思い出そうとすると、つい目頭が熱くなる。もし、子供時代の僕に、今の僕が会えるなら、綺麗なテーブルクロスをあげたいと思う。

 

クリスマスツリーに困る!<2>(主夫篇)に続きます。