いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

望郷に困る!<4>(ボストン篇)<日本に帰りたいと言って、落涙したこと>

望郷に困る!<3>(ボストン篇)の続きです。

 

ノイローゼな僕がテキサスのおじさんに会うために外に出るようになった。アメリカのことが苦手になっていたら、テキサスのおじさんがボストンはおかしいけれど、おかしいのはテキサスなんだぜ、みたいな感じで楽しく話していたことで、僕の気も紛れたりしたものだ。テキサスのおかしさを聞けば聞くほど、テキサスに行きたくなった。名古屋もテキサスばりにおかしな部分を面白く宣伝したらきっと、伸び悩む観光も一皮剥けるような気もする。名古屋走りよりテキサス走りの方がきっとやばいと思う。名古屋走りのことを指摘されてイラついていたら、かっこいい大人になれないと思う。

 

名古屋の観光への提言はこの辺にして、ノイローゼな僕がちょっとやらかして、サンクスギビングのパーティでちょっと気まずい気持ちになってしまったという話だった。出席しない妻と娘を出欠席の用紙に出席するとして回答してしまったのだった。もちろん、その後、訂正のメールを送ったけれども、ここはアメリカ人、こういう細かいことにいちいちメールの返事などはしない。

 

困ったことがあった。

 

恐れていたことが起こっていた。パーティーの席は、主催者がさまざまな国の人たちが円卓を囲めるように配慮していたから、席には参加者の名前が置かれていた。僕の席には、妻と娘の名前もあった。しかし、僕しか来ない。となると、その席には、空席が二つもできてしまう。気まずかった。僕はノイローゼだ。こういう気まずさに耐えられるわけもない。パーティー会場から出ようかとも思うくらいだった。もう二度と、この人たちと関われなくなるかもしれない、とか大袈裟に考えていた。

 

すると主催者が慌てて駆けつけてくれて「君のメールは読んでいた。ちょっと忙しくて、訂正を反映できてなくてごめん」と、僕に、そして同じ席を囲む人たちに説明してくれた。安心して席についた。そこにはテキサスのおじさんもいた。それと、台湾からボストンに住んでいる家族もいた。僕の様子がおかしかったというのもあるからか、みんな親切だった。

 

テキサスのおじさんが僕についての話を台湾の家族にしてくれた。僕があわあわしていることを気にかけてくださったのだ。台湾の家族も僕の様子のおかしさに気がついて、いろいろと聞いてくれた。やさしさに甘えてしまって、ふと、「日本に帰りたい」と言って、僕は涙が出てしまった。落涙だ。すると、台湾の奥さんも涙を流した。台湾の女性は強いという話を聞いたことがある。しかし、その強さは、攻撃的な強さではなく、優しい強さだった。彼女は、「よくわかる。家事や育児をしていると、なぜ私はアメリカにいるんだろう、と思うよね」と言っていた。旦那さんがちょっと困った顔をしながら、僕と奥さんの顔を見て、僕以上にあわあわとしていた。

 

不思議なもので、初めて会った人の前で「日本に帰りたい」と言って落涙し、相手も同情か共感かは分からないが、ともに涙を流してくれると、僕はすっと晴れやかな気持ちになった。「日本に帰りたい」と言った気持ちは、ずっと抱えていたのだけれど、いざ人前で口に出して泣いてしまうと、そして相手に受け止めてもらうと、もう十分な気がした。日本に帰らなくてもいい、と思えた。それはきっと、日本に帰らなくても、こうして、見ず知らずの人も分かってくれるじゃないか、と思えたからなのかもしれない。その日は糖質制限も忘れて、好きなだけ食べた。それと、それまではちょっと苦手だった日本人たちとの交流も積極的にするようになった。

 

ボストンにいる日本人が少し苦手だったのは、自信満々な人が多いというのがあった。もちろん、それはある程度は虚勢もあったんだと思う。異国の地でどうしたらいいのか分からない中で、「俺はできる」みたいに自分を鼓舞することで、どうにか強く生きようとしていたんだろう。僕もきっとそういう振る舞いをしていたと思う。それに、僕がボストンの日本人が苦手だと思ったのは、僕がボストンは苦手みたいな話をすると、「ボストン好きです」みたいな人が多かったからかもしれない。まあ、そのあと、何人もの日本人と会うと、僕のように「日本に帰りたい」と思っている人も結構いることに気がついた。そしてその人たちとは仲良くなって、日本に帰りたいと言いながら、日本に帰りたいと言っている人たちとボストンにいるのが好きになったりもした。複雑な話だ。

 

余所者であるからこそ、望郷がある。この望郷があるからこそ、自分を失わずに済んでいるのかもしれない。僕の場合は、ノイローゼみたいになっていたから、それが望郷なのかなんなのかも分からなかった。ただ、日本に帰りたい、と言って泣いてからは、望郷との付き合い方も分かってきたような気もした。

 

今も、ボストンほどまでいかないけれど、育った場所とは違うところに住んでいる。友人知人も少ないけれど、そこまで望郷の念はない。ただ、ふと、東京に行きたくなることもある。ニュースなどで東京の景色を見て懐かしく思うこともある。台風のときの新宿駅の景色すら懐かしい気持ちになる。東京に戻りたいとはあまり思わなくなっているけれど、3人いる子供たちの誰かが東京に行ってくれたらいいなあ、と思ったりしている。