帰国引越に困る!<中>(ボストン篇)の続きです。
乳児を連れての引っ越しは記憶もおぼろ。細かいことが思い出せないのか、もう細かいことを気にしなくなっていたのかもわからない。ただただ大変だった。そしてその大変さは周囲の人にも伝わったのか、たくさんの人に助けてもらっていた。当時は、あまりにも大変すぎて、きちんとしたお礼も言えなかったこともある。数年経って、ありがたかったなあと思い出しています。
困ったことがあった。
渡米時にはバシネット席があると言われたり、やっぱりないと言われたりで使えなかったバシネットが、今度は使えた。乳児2人だからバシネットが使えて助かった。バシネットがないと抱っこすることになる。そして長女のまだまだ抱っこして欲しがる。とくに、次女と三女が生まれてからは、妻にべったりになっている。次女三女をバシネットに入れておけば、とりあえずはどうにかなるだろうと思っていた。もちろん、その1時間後に考えの甘さを思い知らされる。
妻は長女の世話で動けない。つまり、双子の世話は僕が1人でやることになる。一睡もできないのは当然として、シートベルト着用中以外は、ずっと立って双子の世話をしていた。13時間だか14時間だか、よくわからない。キャビンアテンダントさんたちに同情されながら、どうにか乗り越えた。妻は長女と寝ていた。このとき僕は誓った。東京のホテルに着いたら、絶対、一人で飲み屋に行ってやる、フラフラでも行ってやる、と。
成田について、その場で倒れて眠りたかったけれど、そういうわけにもいかない。双子の大きいベビーカーに荷物をてんこ盛りにして、登山家よりも大荷物を抱えながら宅急便で送れる物は日時指定で仮のすみかに送れるようにした。荷物は減ったけれど、2歳児と0歳双子はどうにもならない。必要最低限の荷物だけでもそれなりにある。なんだか妻と険悪になったりしながら、というのも、お互い疲れていたから些細なことで不機嫌になってしまう仕方ないこともあって、どうにか都内のホテルにたどり着いた。その頃は、妻と僕は何かをやり遂げたような気持ちになって、仲直りしていた。ホテルの部屋にチェックインして、乳児の世話をして、妻と長女はお風呂に入って、あとは寝るだけとなった。僕は食べ物を買い出しにいって、妻に渡すと、そのまま飲み屋に出かけた。寝たかったけれども、それ以上に、気分転換したかった。知り合いの飲み屋に出かけて、少し飲んだだけで眠くなってしまった。友人たちが集まってきていたのに、もうフラフラになってきたということで、1時間くらいで店を出て、ホテルに戻った。みんな寝ていた。僕も寝た。その日の夜は妻が双子のミルクとオムツをやってくれていた。
翌日、ホテルの朝食を食べた。長女が嬉しそうだった。その後、妻は長女を連れて、友人とランチをするということだった。僕は双子を連れて散歩をしていた。夕方は妻と子供たちとホテルの近くでご飯を食べた。なんだかとても美味しかった。やっと落ち着いてきたと思った。
その次の日、ホテルを出て、仮の住処に移動する日。この日は、弟が車で迎えに来てくれていたので、移動は楽だった。弟も子供が3人いる。チャイルドシートは完璧だった。そうそう、乳幼児が3人いると車移動もなかなか難しい。チャイルドシートがないとどうにもならないからだ。
弟家族と比較的近い場所に僕らは住むことにしていた。ばあばもいるにはいるけれども、なかなか難しいばあばなので、育児を手伝ってもらえるとは思っていないけれど、近くに誰もいないよりはマシだと思ったというのもある。そして、仮の住処に2週間くらい住んで、新居を見つけて、やっと引っ越しが終わった。
細かいことは思い出せない。これでも数年経って思い出せたことがあるくらいだ。乳幼児を連れての引っ越しはとても大変だ。帰国も大変だ。困ることばかりだけれども、ちょっとしたことで助けてくれる人がいたり、夫婦で助け合ったり、お互いを尊重したりすれば、いい思い出になることもある。たまに、妻と帰国引越のことを話して笑い話にしている。