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家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

法令の誤認に困る!<2>(自閉症児篇)<障害者差別解消法は努力義務ではなく、義務です。>

法令の誤認に困る!<1>(自閉症児篇)の続きです。

 

保育園の優先利用、利用調整をめぐって市と話し合おうと思ったけれども、「市のルール」ということで話し合いのテーブルについてももらえない。障害児への配慮などを求めても、これまた全く相手にしてもえなかった。なぜなんだろう、と思っていた。市には、市の施策に対する法的根拠などを求めたけれど、僕の指摘に対しては概括的(市の裁量権なので)にか答えず、個別、具体に指摘していることには触れもしない。なんだか怪しい市だなと思った。そして僕はクレーマーになって、僕の相手は弁護士になった。

 

困ったことがあった。

 

相手が弁護士になったということもあって、これはこれで気楽になった。市職員に指摘をしても、結局は、この弁護士に相談して判断をしていたというのもあるし、伝言ゲームじゃないけれども、少し伝わっていないのかも、と思っていたから、直接やりとりできることは歓迎だ。

 

弁護士からの最初の手紙が来た。ここで一つの誤認が発見できた。これだけでも対応が弁護士になってよかったことだと思った。

 

そこには、「障害者差別解消法は努力義務の規定である」としっかりと明記されていた。ははあ、法令の誤認をしているな、と思った。行政機関においては、努力義務ではなく、義務である法令だ。弁護士に電話で指摘すると、「違う条文を見ていたかも」とか言い出した。「ちょっとすごい言い訳しますね」と思わず笑ってしまった。障害者差別解消法について、民間が義務になったのは最近のことだから、民間の方であれば、努力義務だと思い込んでいたという法令の誤認はまだ分かる。しかし、行政機関においては最初から義務である。この弁護士による見解は、行政機関というよりも、ちょっと冷酷な民間事業所みたいな対応のようにも思えたため、正体を見た気もした。僕の中で、この弁護士に対する信頼が少し希薄になった。つまり、この弁護士の言葉を疑うようになった。

 

僕は離婚のときに、調停というのを経験している。そこで相手方の弁護士が事実誤認などを何度もしたことが印象的だった。また、証拠にならなそうな録音がされていない電話などでは脅迫じみた強いことを言ってくることも知っていた。調停委員の方に、「弁護士が事実誤認やら、二重会計などの不正があるものを堂々とこちらに提出してくるのってどうなんですか?」と聞いた。「誰にでも間違いはありますからねえ」ということだった。車の運転なら結果事故にならない違反であっても違反切符が切られるのになあ、と当時は思ったものだった。

 

離婚の時の相手方弁護士による事実誤認や二重会計などの間違えがなぜ行われたのか。理由は一つで、単に調停を長引かせようとしていたということだった。僕は弁護士を雇っていなかったというのあるし、長引く調停に少しうんざりもしていたというのもある。相手方の長引かせる作戦につかれてしまって、僕は僕で弁護士を雇うことになった。着手だけで60万円もかかってしまった。そして、こちらが弁護士を雇ったら、そのあと2回目の調停で終わった。こんな言い方はあれだけれども、結果は僕の勝ちというか、相手の無茶な要求が退けられ、代わりに僕の要求、といっても、相手方が無茶なことをいうものだから、それに対して、だったら僕だって要求できるんだよ、として要求したことが通った。なんだったんだろう。ただ、誤認などを多用することで、素人には手に負えなくして、弁護士に頼むしかなくなるという状況を作り上げるという弁護士業界の互助的な仕組みがあるのか、と思ったりもした。

 

誰でも間違える、という人間としての大きな前提を最大限に活かしている、ということなのだろう。これはもうなんていうのか、倫理的な問題なのかもしれない。しかし、誤認が多発する相手とのやりとりほど疲れるものはない。

 

今回の弁護士は、あえて間違えたのか、それとも素朴に間違えたのか、それは分からない。しかし、顧問弁護士でもある人が、障害者差別解消法を努力義務であると誤認していたことは、ただの訂正だけでは済まないような気もする。最初から、義務としていれば、合理的配慮を拒絶するにしても、もう少しきちんと説明した可能性だってある。

 

弁護士は、法令の誤認を認めて、記載にある一部分のみを訂正したけれど、これまでの対応や、今の認識を変えるつもりはないということだった。けれど、それまでほとんど説明しなかった拒絶理由に関して、やっと説明するようになった。弁護士からすれば、結果が同じだから、法令の誤認があったとしても関係ないということかもしれないが、きちんとした説明をしたかしないかということを重視する僕には違う結果になっている。このもやもやを県庁の方に相談してみたら、県庁の方からも「市の最初の対応は少し問題があったと思う」という見解だった。

 

弁護士からは、「障害者差別解消法における合理的配慮というものは、障害を持つ者が障害を持たない者より不利になることを是正するためにあるため、保育園の優先利用というような障害を持たない者より優先させるためものではない」という返事がきた。

 

スタートラインではあるけれども、どうやらここでも、この弁護士は何やら誤認をしていると思った。寝不足になりながら僕のモヤモヤを言語化した。一見、正しそうなこの弁護士の理屈は何か違和感があると思ったからだった。

 

法令の誤認に困る!<3>(自閉症児篇)に続きます。