いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

クレーマーに困る!<四>(自閉症児篇)<合理的配慮への対応について>

クレーマーに困る!<三>(自閉症児篇)の続きになります。

 

障害者差別解消法における合理的配慮を求めた結果、僕はクレーマーになったという話を書こうとしたら、そもそもクレーマーとはなんだろうみたいになってしまって、クレーマーとクレーマー作成者について話してしまった気がする。

 

クレーマーか正当な苦情かを見定めるのは、そこに具体的なものがあるかどうかだと思う、というのが一応の答えだと僕は思っている。そのため僕が要望や苦情を言う時には、具体的に説明できるようにしている。判例などを見ていても、クレーマーかどうかは、要望や指摘が具体的であるかどうかが肝になっているようでもあった。これは一つの指針かもしれない。

 

しかし、私はクレーマーじゃないと言っても、クレーマーとして扱われれば、クレーマーなのだし、クレーマーの多くは自分をクレーマーだと思っていないと言われてしまえば、そう、私はクレーマーということになる。

 

困ったことがあった。

 

で、これまた戻すと、僕がクレーマー扱いされているのは、市役所からだ。障害者差別解消法に基づいて合理的配慮をお願いしたら、これもよくある話だけれども、一方的に拒絶されてしまって、話し合いすらなかった。合理的配慮はなんでもかんでも配慮されるわけじゃないのは当たり前としても、具体的に困っている内容が告げられたときには、両者で話し合って、拒絶するには拒絶するなり妥当性のある理由を、客観的判断基準などを踏まえて話す必要がある。面倒かもしれないが、障害自体も人それぞれだし、家庭環境などによっても困っている内容が異なるため、こういった話し合いが重要視されている。一方的な判断で拒絶すること自体が、法令違反になりかねない。つまり適切な対応ではないということになって、それこそ、雪だるま式に問題が大きくなりやすい。

 

市役所の対応は、つまりそういうことだった。一方的に拒絶してしまったことによって、「お願い」から「苦情」に変わった。その後も言い訳にならないようなことばかり述べてくるものだから、こちらは、さまざまな政府の方針やら通知、条例、社会通念などを持ち出し、具体的に、一つ一つ指摘し説明を求めることになった。こうなると僕は異常にシツコく、論理的にツメツメするタイプだ。途中からいろいろと調べることが面白くなっているくらいだ。もうある一部の施策に関する法的根拠等は、市職員より詳しい。関係省庁にも確認をとっているくらいだ。

 

そもそも、僕が要望をするという時点で、法的根拠などの用意があるものだったりする。なんの用意もないものを要望することはない。具体的、そして客観的な判断基準を用意した上で、そして、相手方の対応についても法律による規範がある上で行っている。それが要望を出す時のマナーだとも思っている。ぼんやり要望すると相手も困る。

 

しかし、どれだけ用意していたとしても、そして妥当性のお墨付きを関係省庁からもらっていても、市役所が頑なに拒絶することがある。なぜ頑ななのか分からないけれども、市役所が頑なに拒絶する場合は、多くの場合は、他の方と比べて平等じゃない(ぼんやり)、前例がない(ぼんやり)というもので、深く考えていない慣例によるものだ。これはこれで市役所あるあるだろう。

 

慣例に意味がないわけじゃないのはわかるし、尊重もしたい。しかし、障害者差別解消法のように慣例よりも後に作られた法律に則った要望などは慣例に反映されていないこともある。そのため慣例にないのは当たり前だ。障害者差別解消法については、自分や身内に障害者がいて、生活する上でどうしても社会の配慮が必要になることを感じた人でなければ理解しにくいというものだから、ピンとこないのもしかたない。直感的に、他の人に不平等になると思ってしまうのも仕方ない。

 

しかし、すでに法としてある。しかも行政機関においては「義務」になっている法律だ。ぼんやりと、他の人が、とか、前例にない、と言って拒絶していいものではなくなっている。

 

ぼんやりとした理由による拒絶で納得できるわけもない。僕としては、さまざまな客観的判断基準を用意している。そうなると、ぼんやり包囲網が敷かれることになる。拒絶をするからには、そちらにも、客観的判断基準がきちんとあるんだろう、そうであるならば拒絶の理由に納得することもある。僕が提示した具体的な理由と、それに関する具体的な国の法、方針、通知の条文に対して、拒絶の法的根拠を逐一述べなければ、納得し得ない、とそんな苦情にまで発展した。

 

そして、僕はクレーマーにされてしまって、市の弁護士からお手紙がきた。

 

僕がクレーマーになった理由は、市が説明しても「納得できない」とか「法的根拠を示せ」とか言う、といことだった。なぜ、「法的根拠が示されないのであれば納得できない」という私の文章が二分されたのかもちょっと分からなかったけれども、この分断には吹き出してしまった。

 

しかし、そもそも疑問だ。これがクレーマー扱いする理由として妥当だと思っているのだろうか? 僕は市役所と友達になったつもりはないのに、友人関係みたいなことを言われているような気がした。友達同士のいざこざで、「法的根拠を示さなければ納得できない」とか言っていたらちょっとヤバイやつかもいしれないけれども、相手は市行政。市行政が自らの施策や対応について、法的根拠が示せないことに問題があると思うのは、そんなにおかしいことなのだろうか。そんなことで僕はクレーマーにされてしまって、市の窓口では対応できずに、わざわざ税金で弁護士に依頼するようなことになってしまうとは。つまり、僕の苦情のせいで、公益を損じることになるとは思いもよらず、いやはやどうして、世の中というのは奇怪なものだ、理屈というのも奥が深いものだと思わされました。

 

もちろん、これから大いに反論することになる。この続きは、「法令の誤認に困る!」とかそんなタイトルで、続編を書こうと思います。