「合理的配慮はすべて解決、だけどスッキリしない」(長女4歳)
困ったことがあった。
長女の合理的配慮をめぐる話し合いは、保育園が全面的な非を認めることとなり、僕らの要求は叶えられることになった。他の保育士にどの程度、この話が伝わっているのか分からないけれども、以前のように、長女を頭ごなしに叱りつけたりする人はいなくなった。
みんな丁寧で、とても親切になった。
でも居心地が悪い。こんなことを言うと、僕がなんだかわがままな人に思われてしまうけれど、この居心地の悪さは一体なんだろう。
保育園のみなさんは、「僕」に丁寧すぎるくらい丁寧だ。園長は僕を見ると愛想を振り撒き、下手に出てくる。なんだか、僕が偉い人になってしまったような気持ち悪さだ。みんなが僕の一挙手一投足を気にしている感じだ。僕はこの保育園のトラウマになってしまったのかもしれない。
以前は、子供たちに少しでも熱があればすぐに呼び出された。37.5度を上回るとすぐに電話。そして1時間経っても37.5度を下がらないとお迎えの流れだ。これは保育園ではよくあることだと思う。
子供にもよるけれども、幼児は37.5度くらいの熱がよく出る。そしてすぐに下がる。呼び出されて、家に連れて帰って測り直すと、37度を下回っていることも何回もあった。保育園では何度も熱を測る。園長に、幼児は37.5度くらいよく出てすぐ下がりますよね? と聞いたことがあった。そのときは、「そうですね、でも規則なんで」という感じでお迎えを強制されていた。
しかし、長女との一件以来、呼び出しはなくなった。全体として無くなったのかと思ったら、同じ保育園に通っている人たちはよく呼び出されているらしい。
「また熱でお迎えでした。家では37度以下なのに」と言う話を何人かから聞いた。
うちだけ特別扱いになっているようだ。我が家は保育園における腫物的な存在になっていた。
この状態を「よかった」と思う人もいるだろう。現に、僕が相談していた友人たちからは「勝ち取った権利」みたいな扱いをされた。でもこれはおかしいことだと思う。
僕は既得権益というのが好きになれない。自分が得をしている側だとしても、公平じゃない状態が嫌だと思ってしまう。それに僕が長女との一件で求めていたのは、「長女にだけ合理的配慮をして欲しい」というのではない。障害者差別解消法における合理的配慮を求めたのであって、それは全ての障害者に適用されるべきだと思っているし、障害者差別解消法と合理的配慮について、保育園としてきちんと認識して欲しいというものだった。
だけれど、結果は、長女にだけ合理的配慮がなされ、我が家だけ特別扱いされるだけだった。
こうなってしまうのも、名古屋市が僕らとの揉め事を内々に済ませたいと思っているからだと思った。そのため、名古屋市の保育園に通う全保護者に対して、障害者差別解消法における合理的配慮を、無根拠に拒絶して、その後、交渉の結果、名古屋市が非を認めて、合理的配慮を行うことになったという文章を配布して欲しいという要望を出していた。
この要望はもちろん、拒否された。
せめて長女が通う保育園の保護者に向けてだけでも、経緯説明をして欲しいとお願いしたが、これも拒否された。
名古屋市が僕の要望に対して送ってきたのは、著名なしの回答だけだった。その中には、園長からの謝罪があることと、今後、同じ過ちを犯さないように研修をする、ということだった。
僕はこの回答の前に名古屋市の予算を調べていた。その部署では、障害児指導等の係があり、そこに研修費用がすでにあった。この研修費用は一体どうなっているのだろう。名古屋市が隠蔽できないように、スクリーンショットと印刷はしてある。研修はすでにしていることになっているはずだ。これはまた揉めたときに突きつけようと思っている。
話を戻すと、名古屋市は謝罪などは園長に押し付けて、知らん顔を決め込むことにした。そして、園長としてはこれまでの保育園の指針を変えるわけにもいかないから、僕らだけを特別扱いすることになったということだ。
この状態をどう変えていけばいいのだろうか。
たしかに、現在まで、僕らにとって保育園は格段に便利になっている。ちょっとした要望を言ってもほとんど聞いてもらえるし、何かあれば、園長と新しい主任が来て、すぐに平謝りだ。でも、そんなことを求めているんじゃない。
僕だって変なことを言うことはあるし、見当違いなこともあるだろう、そういうときにはお互い話し合って、僕が間違っていれば指摘してくれれば直すし、保育園が適切でなければ、可能な範囲を話し合って見つけて、お互いに無理のないようにしていきたいと思うけれど、僕が何か言うと、大慌てになってしまう。僕はなんだかお殿様になってしまっている。
こんな状態の僕を睨みつけるような保護者もいる。そうなるのも仕方ない。しかし、どうすればいいのだろう? 保護者に対して、何があったのか説明して欲しいと願っているけれども、隠蔽体質の名古屋市にはそれはできない。知り合った保護者にちょっと話してみたけれども、沈黙されてしまう。3人ほど僕を応援してくれる保護者はいたけれど、現在の僕のお殿様状態をよくは思っていないだろう。
なんだか、孤立してしまった。
どうやったら公にできるのだろうと思って、実名ではないけれども、保育園の実態としてこういうこともあるということを書こうと、ブログをはじめてみた。批判的な文章は読みたくない人もいるし、名古屋市の批判がいやな人もいる。自閉症児のことや、障害者さ差別解消法などのことを考えたくない人もいる。とはいえ、黙っているよりも、一人でもいいから困っている人の助けになればと、この自閉症児篇を書いていた。
名古屋市と保育園の対応は、もう終わった。長女への合理的配慮と我が家への特別扱いということで終わってしまった。他の保護者からの冷たい視線をどうしたらいいのか分からないし、直接的な被害があるわけでもないから、何か言うのもおかしくなってしまう。長女にとってよい環境にはなっているけれども、僕には公平性や公共精神が欠如している場所にいるのは耐えられることじゃない。既得権益を僕が享受していることが嫌なんだ。
そんな感じで、昨年度は悶々として過ぎていった。1番の問題だった主任は昨年度を最後に異動されたようだ。