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家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

発達障害に困る!<上>(自閉症児篇)<発達障害に対して思うこと>

名古屋市発達障害総合診療研究センター(仮)ができるらしい」(長女5歳3ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

育児と家事も終わってテレビを見ながら妻の職場の愚痴を聞いていたら、気になるニュースがやっていた。

 

2023年度中に「発達障害総合研究センター(仮)」というのが名古屋市にできるらしい。

 

発達障害などの調査、研究と、小中学校や保育所学童保育などの職員などへの助言や、研修、支援プログラムの提供や、診療所や地域療育センターに専門医を確保して提携するということだった。

 

とてもいいことだと思う。僕らは、2022年度中に名古屋市から引っ越してしまうから、この新しい取り組みがどういうことになるのか体験することもないけれども、名古屋市は保育園だけでなく、療育センター、そして名古屋市の職員、社会福祉センターなどなど、発達障害や障害児に関わる機関や大人たちの対応がひどすぎると思っていたので、助言にとどまらず、指導も含めてどんどんやってほしいと思う。

 

自閉症児や発達障害の子どもには周囲の理解がどうしても必要だ。それは過剰に対応して欲しいというのではなく、「違うこと」があるということを理解してほしいというもので、そしてその「違い」に対して、制度的に、法的に認められている配慮をしてほしいということだ。

 

制度的、法的に認められている配慮をしてほしい、という要望に違和感を覚える人もいると思う。制度的、法的に認められていないから何かを求め、訴えるのであるのなら分かるが、なぜ、すでに制度や法で認めら得ていることを求めるのだろうか、と。

 

例えば、窃盗はしちゃいけない、というのは法律できまっている。にもかかわらず、本屋さんやスーパーマーケットなどで「万引き禁止」みたいな張り紙があったりもする。痴漢行為は禁じられていても、「痴漢アカン」なんてポスターが必要になっていたりもする。それと同じように障害がある者に対して認められている権利が法律で決まっていても、そのための配慮を認めようとしない人たちがいる。万引きする人や痴漢をする人がいるように、合理的配慮を拒絶する人というのもある。

 

万引きや痴漢との違いは、障害者差別解消法に違反しても罰則がないということだ。万引きや痴漢の被害者と合理的配慮の拒絶による被害者は同じようには扱われないし、合理的配慮をされなかった人を被害者として扱うようにはまだなっていない。10年後、20年後にはそうなるかもしれないけれども。

 

障害者差別解消法という法律があったとしても、周囲の理解がないことには障害者は被害を受けている状態になってしまう。

 

内閣府で障害者差別解消法のパンフレットが配布されているのと、各自治体は障害者差別解消法を周知する義務がある。内閣府厚生労働省の方に話を聞くと、周知義務に関しては名古屋市のような政令指定都市に対して国からああせいこうせいと注意指導は直接できないが、周知義務があることを説明することはできるということだった。国からの説明を名古屋市役所がどう受け止めたのかは知らないし、当時、市役所と揉めていた僕に、名古屋市の担当者から何かを知らされることはなかった。

 

そして、名古屋市としては、障害者差別解消法などについて、すでに研修は行っているということだった。そして、今後も、周知や研修をおこっていくということだった。そんな名古屋市からの書面を受け取ったけれど、どうせ口だけだろうと思っていた。研修内容や期間、日時、予算等、実際に研修が行われているかどうかの詳細は一切教えてくれないのだから、やっているのかいないのかも分からない。

 

もう一つ根深い問題がある。

 

障害者差別解消法の合理的配慮がなされない大きな理由の一つに、なごや子どもの権利条例というのがある。この条例ももちろん大切なものだが、現場では、この条例と障害者差別解消法がダブルバインドのようになっている。これは地元愛、郷土愛が強い名古屋に特殊なことなのかもしれないけれども、国の法律よりも、名古屋市の条例を優先してしまうという事態になっている。

 

具体的にどういうことかというと、

 

現場の条例解釈は、すべての子どもを平等に扱い、すべての子どもに合理的配慮をするため、一部の子どもを特別扱いすることはできない。そもそも、すべての子どもに合理的配慮を行っている状態である。という前提が名古屋市の保育園とそれを取り巻く各機関(社会福祉協議会名古屋市役所など)にある。

 

そして自閉症児などの障害児だけでなく、発達障害の子どもへの合理的配慮やケアが疎かになってしまう根深い問題は、「子どもの発達はそれぞれだから発達が遅れていても、その子どもの個性なのだから気にしない」「子どもはみんなそう」という認識が強いということ。これはなんというのか、近所のおじさんおばさんや、保護者たちや、じいじばあばが言ってしまうのであれば仕方ないけれども、専門性が求められている保育士や保健師、市職員が、育児や発達心理学の専門的な知識がないじいじばあばと同じように考えてしまうとちょっとやばいことになる。

 

名古屋市の条例と、「子どもはみんな一緒」「発達は個性」という認識によって、障害者手帳を持つ障害児の合理的配慮は拒絶され、発達障害の子どもは放置される、という事態を招いているように思う。

 

そんな名古屋市に、「発達障害総合研究センター(仮)」ができるというのだから、頑張って欲しいと思うし、助言や研修を行う上で、名古屋市の条例がどのように解釈されているのかという現状把握や、障害者差別解消法への理解度の底上げ、そして発達に対する専門的な視点をどうのように広めるのか、という課題があるだろう。

 

長くなってしまったので、発達障害に困る!<下>(自閉症児篇)に続きます。