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送迎時間に困る!<上>(自閉症児篇)<保育園は既得権益なのだろうか?>

「加配保育の運用がなぜ明らかにならないか真相を追ってみた」(長女4歳4ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女への合理的配慮をめぐり数ヶ月間、保育園と市役所と揉めて、どうにか適切な合理的配慮がなされるまでの経緯は何度も書いた。そして、なぜこの様に揉めてしまったのかということを僕なりにいろいろと調べたり、考えたりしてきた。

 

そもそもは、ボタンの掛け違いみたいなものかもしれない。

 

加配制度に対して、保育園の保育士たちに共通の認識がなく、主任の裁量に任せていたのが、ボタンの掛け違いというか、誤解というか、嘘と誤魔化しというか、問題の原因だった。主任がその場しのぎで誤魔化したことが結果、「嘘」となってしまったのはまたちょっと別の問題だけれども、公立保育園として、加配制度についてキチンと各自治体の方針に則って運用していれば問題はなかっただろう。

 

しかし、この運用方法が明記された資料がない。これが問題の根本だと思った。芸能や武術の秘伝のように師から弟子へと口伝や秘伝書で伝えることでもないことなのに、話を聞いてみると、なんとなくそう思ってたとか、そう言われたみたいな感じで運用されていた。

 

保育園では園長を含め、どのように加配保育が運用されるのかということを誰も知らなかった。なんとなくの慣例や自分たちに都合のいい解釈で行っていた。

 

主任の説明では、「加配児童は、加配担当がつきっきりになるわけではない。なぜなら名古屋市は統合保育を行なっているからだ。だから、加配担当は、保育園全体のフォローを行う。保育園の全体のフォローであるから、実際の運用がどうなっているのかは教えられないし、加配担当に紹介する必要もないし、担当者の名前も教えられない」となっていた。

 

これ自体がツッコミどころ満載なのは加配や障害児に関わったことがある人であれば分かる。しかし、このどこにも明記されていない運用方法がまかり通ってしまっていた。

 

統合保育は、簡単に言うと健常児と障害児を分け隔てることなく保育するという理念の保育方針だ。制度的な差別をなくすために用いられた崇高な考えでもあるけれども、運用の仕方によっては、障害児に目が届かなくなることも指摘されている。また、モラルが低い保育園であれば統合保育を謳いながら、加配担当に保育園の他の仕事をさせたりすることも可能になってしまう。つまり、障害児のための加配担当ではなく、保育士たちの作業負担を減らすための加配担当になってしまうことも考えられる。もちろん、障害児を受け入れることで補助金も入る。悪い見方をすれば、障害児を食い物にする制度になりかねない。

 

崇高な理念とは一転すれば悪用されるというのはいろんなところで見かけるだろう。募金にしても何に使われているのか用途が明らかになっていないところもあるくらいだ。募金団体の役員が豪邸に住んでいるなんて話を知らない人はよっぽどうぶなんだろう。

 

名古屋市が採用する統合保育や加配制度は、一つの保育園での裁量権が強いだけに、高いモラルが求められる制度になっている。つまり、堕落してしまったら手が付けられないのだ。

 

それでは最低限のルールを明記したものを作成すればいいと思う。モラルなどが望めない場所においてルールが発生する。いくら名古屋市が「職員ハンドブック」で公務員に高いモラルが求められると宣言したとしても、モラルを裁く法はない。モラルよりも、目先の楽や仲間内の利益のために動いてしまうのが人間というものだ。

 

加配制度のルールがないことは、一つの社会的障壁となって障害児の前に現れる。

 

こんなことから、僕は、保育園に加配制度の明文化を求めていた。

 

前回も書いたけれども、この保育園では他の保育園独自のルールも含めて明文化しない。というか、他の名古屋市で働く人たちに聞いてみると、名古屋は明文化を避ける傾向があるようだった。明文化されていないことに違和感を覚える人が極端に少ない。村の掟の延長なのだろう。「掟を書きあらわすことは禁じられているのじゃ」と村の翁に言われそうな感じだ。ブラック企業ではよくある現象だ。コンプラなんて糞食らえというやつ。法律がなければ法律違反がないという考え方。

 

加配保育の運用を文章にして共有してもらうということは、名古屋の禁忌に触れるようだった。

 

それでもしつこい僕は追求していった。

 

追求して分かったのが、前回書いた送迎時の違法駐車を見逃すためという園長の言い分だった。ルールをきちんと書いてしまったら、送迎時の違法駐車について保育園は取り締まる必要が出てくる。そのため他のルールも慣例化させ、文章による共有はしないようにして、違法駐車も見逃すということだった。

 

また長くなってしまったので、2回に分けます。続きは、名古屋の保育園のもう一つの闇についてとなります。