いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

小便器に困る!<一>(新築篇)<我が家には小便器がある>

三井ホームのキャチコピーは<憧れを、かたちに。>なんだけれども」

 

困ったことがあった。

 

うちには小便器がある。5人家族で男は1人しかいないにも関わらず小便器がある。「男1人なのに小便器があるんですね?」とちょっと楽しそうに聞かれることもある。

 

立ち小便をするのは男だけだと多くの人は思っているし、まあ、僕もそう思っている。「男1人なのに」と言われると思い出すことがある。映画「男はつらいよ」で、主人公の車寅次郎という啖呵売をするおじさんがまくし立てる売り口上は、子供の頃に真似をしたもんだけれども、きっと今は知らない人も多いかもしれない。「結構毛だらけ猫灰だらけ」なんてのは意味も分からず口をついて出たものだけれど、妙に、印象に残っているのは、「ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姉ちゃん立ちしょんべん」だった。

 

子供の頃に住んでいた場所は、お茶の水からは電車で1時間くらいもかかるところだから、お茶の水がどんなところだかも知らなかった。それに粋な姉ちゃんと言われても、粋という言葉の意味もピンとこない。良く分かったのは「立ち小便」だった。

 

このところ、立ち小便をするおじさんというのは見かけなくなった。子供の頃は、よくその辺で立ち小便をするおじさんやこどもがいたものだけれども、いつの頃からか見なくなった。駅のホームの端で立ち小便している人もいたし、繁華街などでも立ち小便している人はよく見かけた。立ち小便や痰がその辺にあったから、道端に座ったりするのはとても汚いことだとされていたようにも思う。しかし、女性が立ち小便をしているのは見たことがない。粋な姉ちゃんじゃないとしないものかもしれない。

 

20年くらいでおじさんやこどもの立ち小便を見なくなったように、もしかしたら、粋な姉ちゃんの立ち小便はそれより昔に見なくなっていったものなのかもしれない。公衆トイレやお店などのトイレが少なかった頃、あるいは道路も舗装がされず、その辺に肥溜めがあった頃は、田畑の近くなどでは立ち小便やそれより大きなものも肥料になると喜ばれたのかもしれないのだから、今の価値観から粋な姉ちゃんの立ち小便を想像するのは難しい。

 

幕末の歴史が好きな年配の知り合いの人と話していた。その方と粋な姉ちゃんと立ち小便の因果関係のことを話していたわけじゃないのだけれども、幕末の志士たちの奥さんには、立ち小便をする粋な女性もいたという話を聞いた。誰?という話をしても仕方がないからするのはやめるけれども、粋な女性と立ち小便というのは、関係があるものらしい。寅さんの口上にもあるくらいなのだから、昔はピンときた関係だったのかもしれない。それは男勝りとか、行動力があるとか、思い切りがいいとか、そんな意味合いが当時はあったのかもしれない。

 

このことから考えてみると、我が家に男1人しかいないのに、小便器があるのはおかしい、という指摘はちょっと違うんじゃないか、と苦しい言い訳をしては失笑を買っている。なにも寅さんとか幕末とかの話じゃなく、そもそも立ち小便が時代と共に廃れたものであって、今時は座りションが定番になっていて、これからは、わざわざ座りションなどと言わずに、ションだけになってしまうかもしれないのだから、立ち小便をするための便器を家に作ることはちょっとおかしい。小便器は公衆トイレや公共施設や商業施設などで男性トイレの混雑を緩和するために設けられるものであって、自宅にわざわざ備え付けるものではないという正しい意見が優勢なのはもう仕方ない。

 

苦しい言い訳はもっと続く。

小便器に困る!<二>(新築篇)に続きます。