いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

おさるに困る!(ボストン編)<おさるのジョージに共感する>

Curious Georgeとか言ってしまうこと」(長女1歳)

 

困ったことがあった。

 

僕は子供用の番組に詳しくないし、絵本もほとんど知らない。有名な絵本の「はらぺこあおむし」にしても、長女が生まれたときに友人から出産祝いにプレゼントされてはじめて知った。テレビ番組の「お母さんと一緒」にしても幼い頃に見た覚えがない。小学生くらいの頃に、幼児たちが見ている番組として「お母さんと一緒」をチラリと見たことはあるけれど、それはもう自分には関係のない番組になっていた。

 

昔、育児をしている知り合いの家に行ったときに、知り合いの子が猿のアニメを見ていた。今考えれば、それが「おさるのジョージ」だったわけだけれども、ほとんど記憶にもなく、いたずら猿の悪戯とひらめきに何か心温まるものを感じるように作られているものという印象以外にはなかった。

 

ボストンには、世界で唯一の「おさるのジョージ」のお店がある。キュリアスジョージショップ(Curious George Shop)とかって名前だったと思う。ハーバードスクエアというレッドラインの駅にあった。

 

おさるのジョージ」のことはぼんやりとしか知らなかったけれども、せっかく、おさるのジョージの本場にいるのであれば、おさるのジョージ、いやCurious Georgeに詳しくなるのもいいだろうと思ったし、長女が気に入るならぬいぐるみとかを記念に買うのもいいと思った。

 

PBS Kidsというケーブルテレビの子供用チャンネルがある。そこではさまざまな子供向け番組が24時間やっている。長女と共に、「Curious Georgeおさるのジョージ)」や「The Cat in the Hat」「Pinkalicious(ピンカリシャス)」「Daniel Tiger's Neighborhood」などを見ていた。2年も見ていると、そこに二つくらい新たにアニメが加わるようになっていた。地球が主人公のやつとか、アラスカの少女の話とか。そのへんのことはまた今度書こうと思う。

 

これらの中で日本でも放映されているのは、「Curious George」だけだった。長女が日本に帰っても続けてみることができるということもあり、「Curious George」を中心的に見るのがいいような気がした。

 

長女は、おさるにあまり興味がなかった。ピンカリシャスとダニエルタイガーがお気に入りだった。

 

なぜだか僕はむきになって、そんな長女にジョージのぬいぐるみを買った。長女は気に入らなかったので、ジョージはいつも部屋の片隅で僕らを見ているだけだった。テレビの中のように悪戯されたりしても困るけれど。

 

近所の図書館でもあったケンブリッジライブラリーも「Curious George」を推していた。登録すれば、絵本を100冊読もうみたいなキャンペーンでジョージのトートバッグがもらえる。もちろん、もらった。それでも長女はジョージが好きになれない。

 

なんだかんだとジョージのことばかり考えていたら、僕がジョージが好きになっていた。ジョージの主題歌を口ずさんでしまうこともあった。「エーブリシング!」とか「スウィング!」とか僕が突然歌うものだから妻が笑っていた。そういえば、アメリカにいるときに主題歌を歌っているDr.Johnさんが亡くなってしまってショックを受けたりもした。

 

Curious Georgeには、The Man with the Yellow Hatという登場人物がいる。黄色いツナギに黄色い帽子を被った格好だけ見れば偏執的な感じの男だ。日本語のおさるのジョージでは黄色い帽子のおじさんとなっている。彼の包容力のある振る舞いは、育児の手本ともされているようで、流行りみたいになっている怒りのコントロールの素晴らしい例らしい。

 

しかし、あんなふうになんでもかんでも許せてしまうのは、ジョージが乳幼児ではないため、危険をギリギリで回避する身体能力もあるからだと思うし、実際に乳幼児の世話を黄色い帽子のおじさんのようにしてしまったら、目を離しすぎだし、留守にしすぎで、世話する方が怒られてしまうかもしれない。小学生くらいになったとしても危ないような気がする。

 

僕は小学生の頃、団地の5階から雨水管を伝って降りたことがある。何度もある。おさるのジョージでもヒヤヒヤする瞬間かもしれないけれど、死と隣り合わせの遊びだった。ある日、近所の人に見られて大騒ぎになって親に怒られた。黄色いおじさんは怒るだろうか。

 

Curious Georgeを見ながら、自分の子供の頃を思い出すとリアルに感じる危険な遊びもある一方で、親の視点で見ると怖すぎる。僕はThe Man with the Yellow Hatにはなれないだろう。

 

日本に帰ってきてから、「おさるのジョージ」を見た。主題歌はどこかで聞いた声だと思った。タッチじゃないか!と思った。タッチにしても親の視点で見ると悲しすぎる。とくに双子の親になってみるとなんだか切ない。「おさるのジョージ」に話を戻すと、アメリカにあった部分がない。

 

アメリカでは、ジョージの危険な遊びが終わった後に、どこかは分からないけど、アメリカの小学校でジョージの発明やら発見やら遊びやらを試してみるコーナーがある。小学生たちはひとしきりジョージ体験をした後に感想を言う。

 

「George is monkey(ジョージは猿だ)」からはじまる一連の感想。そう、ジョージの発見や冒険や危険な遊びは、ジョージが猿だからやっていることであって、それを体験して、こう考えたとかどうだったとか人間の小学生が言う。ジョージは猿だ。そして、同じようなことを子供時代にやっていた僕も猿だったのだろう。僕がジョージを見ながら、「ジョージは猿だ」という感想を持てなかったのは、根本的に何かがずれていたのかもしれない。

 

なかなか反省させられるアニメだ。

 

ちなみに、ジョージのぬいぐるみは次女が気に入って、毎日ジョージと一緒に寝ている。次女は三姉妹の中で僕のことをよく「好き」と言ってくれる。これも何か関係しているのかもしれない。