「カルキの石化はクセになる」(妻、妊娠中)
困ったことがあった。
妻は湿度の高い部屋が好きだ。ジメジメした中で暮らしたいらしい。僕は乾いた部屋が好きだ。除湿機を買ったことはあっても加湿器なんて買ったことない。
こういうときの折衷案はなかなか難しい。妻のジメジメ好きは体調に直結する問題で、僕のカラカラ好きはただの快適さへの問題。そうなると、体調の問題を優先するのが当たり前なのだから、迷わずにジメジメした部屋にすればいい。でも、僕のカラカラ好きにしても、実は体調の問題があるのかもしれないじゃないか、と少しは思いもしたし、本へのダメージも考えると、正直、ジメジメの部屋は嫌だった。湿度50%が妥協ライン。妻には物足りないらしい。
妻が妊娠した。ジメジメ部屋にすることにした。湿度は60%を超えることを目指した。窓は結露、本は波うつ、そんなジメジメの世界。
妻が持っている加湿器は空気清浄機と一緒のタイプで、妻が求めるほどの加湿はなかなかできない。また、ただの加湿器は年季も入っているのと、少し小型だということで、もっと強力なやつが求められていた。
加湿器と空気清浄機が一体になっているものは値段が高いけど、加湿器だけならそんなに高くない。加湿器素人の僕が店員さんにあれこれと質問をして、一万円くらいで水がたっぷり入るやつを買った。
この加湿器はすごかった。レバーで三段階に調整ができる。フルパワーの水滴が三つマークされているところにレバーを合わせてみると、ミスト状になった水がブワーっと出る。湿度は一気に上がりそうだと思った。しかし、フルパワーだとすぐに水がなくなる。寝る前につけると、朝にはタンクが空になったことを知らせる赤ランプが点いていた。
フルパワーだと夜中に一度水を替えなければならない。しばらくは頑張って夜中に一度替えていたけれども、布団の上を行き来するため、水滴が布団に滴る。そして妻も起こしてしまう。そんなことから、ジメジメ感は減るけど、二段回目である水滴二つマークで運転することにした。後ほど妻に聞くと、夜中に加湿器に水を入れているのは、ありがたいけど少し迷惑だったそうだ。
二段回目の場合は10時間以上いけたと思う。細かい時間は忘れてしまった。
加湿器のある生活にも慣れてきて、毎日休むことなく使っていた。
ある日、タンクの下の部分に何か引っかかるものがあった。乳白色で硬い物があった。鍾乳洞を思い出させる石のような物。加湿器を分解してみると、石のようなものがビッシリと詰まっていた。
僕の好きなやつだ。
僕は隙間の埃や排水溝の汚れとかが好きだ。子供の頃、母親が履いている健康サンダルにホコリが詰まっているのを見つけて、綺麗にとれるように苦心したものだった。靴の先に詰まっている埃も好きだ。なんでこういうのが好きなのかは考えたこともない。理由なく好きというのが世の中にはあるものだろう。
石化したものを取り除くだけなら、きっと便利な洗剤などがあるだろう。こういうのは大体、重曹とかクエン酸とかそんなのでとるってのが多い。どうせアルカリ性には酸性ってやつだろう。リトマス紙を初めて使ったときは、ドキドキしながら、いろいろとやった。何が酸性で何がアルカリ性なのか、何でそんなに知りたかったのか分からないけど、なんだか楽しかった。
しかし、それでは快楽は得られない。綺麗にするという快楽はもちろんあるけど、こういう石化したものは、形を残したまま取り除ける方が気持ちいいに決まっている。
工具はあまりなかった。工具箱は友人に貸したままだった。ドライバーセットはある。マイナスドライバーがあればどうにかなるだろう、と加湿器を傷つけながら石を傷つけないように作業した。僕のやることは本末転倒になることが多い。
その日の仕事もせずにずっと作業をしていた。
取り除いた石化したものを台所の机に並べておいた。満足がいく個体は3個くらいあった。妻に自慢するつもりだった。
妻が帰宅したので、加湿器が生んだ石たちを見せた。反応が悪い。
「へー、こんなふうになっちゃうんだねー」
「うん、それはいいだけど、ほら、これみてよ、すごい綺麗じゃない?」
「取ってくれてありがとうね」
感動というのはなかなか共有できないものだ。妻は加湿器のメンテナンスをした僕を労ってくれているが、僕としては、かっこいい石を翫賞して欲しい。
加湿器をつけると、変な音がした。どうやら僕は加湿器を少し壊してしまったらしい。