いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

声がけ運動に困る!(再東京篇)<子連れに怒鳴るおじさんを見つけたら>

「何かに怒ってる人がいる」(長女2歳11ヶ月、双子10ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

いつの頃からだろうか、平日の午後あたりに歩いていると、小学生くらいの子供たちから声をかけられることが増えた。最初は、学校の先生とかと間違えているのかな? とか思っていたら、平日の午後に私服でぶらぶらしているおじさんに対して声をかけることがある、と友人に教えてもらったことがある。

 

つまり、不審者として扱われているこということだった。

 

それは別に悪くないというか、子供からしたら大人の労働環境などは分からないだろうし、平日の午後にぶらぶらしているから不審者というわけでもないけど、そういった大人の事情を子供に説明するのは難しいだろう。とはいえ、職務質問されて異常に怒る大人もいることを考えると、不審者と思われて傷ついてしまう人もいるかもしれない。

 

僕の場合は、不審者っぽい人に挨拶する習慣は結構好きだ。はじまりはどうであれ、近所の子供たちが見知らぬおじさんに挨拶するような雰囲気は悪くないし、アメリカでは当たり前だった。

 

不審者として挨拶されたと思うより、この子に何かあったときに注意を向ける人候補として挨拶をされていると思えば、地域の保護者としての自覚も生まれてくる。

 

不審者候補ではなく、保護者候補として挨拶をされている。そんなふうに思っている。

 

アメリカから僕の地元に戻ってきて、妻はよく声をかけられるようになったと言う。

 

「自転車に乗ったおじさんが急に馬鹿野郎とか言ってくるんだよ」

 

おじさんの声がけ運動は過激だ。僕の地元は少し治安が悪いので、すれ違い様に罵声を言う人がたまにいる。子供の頃から慣れていた僕はあまり気にしなかったけれども、知らないおじさんに怒鳴られるのは、見知らぬ子供に挨拶されることとは違う。

 

「なに? って言って一歩近づけば、だいたい逃げてくよ」

 

と僕が笑いながら言うと、どうやらそういう問題ではなさそうだ。僕は格闘技もスポーツもやっていなかったけれども、身長は180cmでガタイもいい。相手も僕には来ないのがわかっているから、僕も強気にいけているだけだ。

 

子供を連れて歩くようになってから、おじさんたちに文句を言われるようになったらしい。ベビーカーにしても、子供を乗せる自転車にしても、普通よりは場所も取るし、小回りも効かないこともある。邪魔だと思う人はいるかもしれない。それに、子連れならば抵抗しないだろうという臆病で卑怯なおじさん心もあるのだろう。

 

声がけおじさんが出たとき、近くにいる人もだいたいスルーしている。おじさんはストレス発散の相手として、子連れの女性をターゲットにしているようだ。周りの人たちも、おじさんの声がけ運動程度にしか思っていないだろうから、数秒後には平和になる、と思っているのだろう。

 

このままほっておいていいのだろうか。

 

近所のそういうおじさんはだいたい同じ人だ。僕に来たら、スルーせずに注意しようと思った。しかし、僕には来ない。こうなったら、周囲に子連れやベビーカーの女性を見かけたら、声がけおじさんがいつ来てもいいように心の準備をしておくことにした。信号待ちでイメトレしすぎて、僕が不審者みたいになってしまって、子連れの女性に距離をおかれたことがある。違うんです、僕は保護者的なやつで不審者じゃないんです、と心の中で声がけ運動をした。

 

双子をベビーカーで連れて、信号待ちをしていた。自転車に乗った70歳くらいのおじいさんが近づいてきた。

 

「ばかやろう、邪魔なんだよ」

 

僕に来た。声がけおじさん来た!

 

「ちゃんと退いてるでしょ? このくらいの幅が通れないなら自転車降りましょう」

 

もちろん、おじさんは「うるせえ」って怒鳴って行ってしまった。その後、妻からは、声がけおじさんの話は聞かなかったから、声がけ運動はやめたのかもしれない。

 

もう一人、声がけおじさんが来た。夕方あたりに定食屋から顔を赤くして出てきた。僕は空のベビーカーを押していた。

 

「ばかやろう!」

 

声がけがあった。挨拶を返さなければ!

 

「いま、僕に言いました? なんかしましたか?」

 

「いやあの、○○駅ってどっちですか?」

 

遠い駅を出してきた。徒歩での行き方と電車での行き方を説明した。感謝された。おじさんの声がけ運動は、おじさんが相手をして地域の保護者にならないといけないと思う。