いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

接遇に困る!<下>(自閉症児篇)<明らかにおかしいと思ったら、とことん行くべきだ>

接遇に困る!<中>(自閉症児篇)の続きです。

 

自閉症児や多胎児でなくても、最初の1人目の育児は大変だ。どんな職場でも最初の3ヶ月くらいはきつい。そして、育児に関しては最初の3ヶ月が地獄だ。ここで疲弊して、思考も麻痺する。そんな中で、誰かに頼ることになる。頼った相手がいい人かそうでないかで、育児のやりやすさも変わってくる。行政も人間がやるものだから、たまに、おかしな対応をしてくる人もいる。育児で疲弊しているとそれがおかしなことかどうかも分からないかもしれないが、あまりにきつい状態なら、きっと、助けを求めていいというか、意外と、国の方針やら法律は、あまりにキツイ状態のことは想定していることが多いので、サポートや配慮を受けられることもある。

 

担当職員ガチャに外れてしまったのは運が悪いことだけれど、そんなときは、いろんな場所に相談するといいと思った。

 

困ったことがあった。

 

名古屋に引っ越してからは、保育園の主任がちょっとクセの強い人で、名古屋走りという交通法規を無視する運転があるように、この主任もルール無用の名古屋走りタイプで、自分のルールが全てという感じの人だった。彼女のルールからすれば、障害児や多胎児だろうが、子供はみんな一緒なので、何もしない。あと、発熱があろうがなかろうが、彼女が見てちょっと元気がなさそうだったら、保護者に引き取りに来させるし、コロナ対策も独自の解釈で、濃厚接触者で陰性と診断された保護者であれば、園児も登園しちゃだめだ、これは国の決めたルールだ!と言っていた。名古屋市から全保護者に公布されているコロナ対策と違っていた。きっと、主任の名古屋走りだった。

 

ちなみに、名古屋走りと名古屋人に言うと嫌な顔をされる。名古屋走りをしている人は、名古屋走りだと思っていないし、そもそも、名古屋走りが交通法規に則った走り方だと思い込んでいる。車の運転のような日常的な行為はしばしばこのような思い込みによる違反というのがあるものだから、名古屋だけが特殊というわけでもないが、ただ、この思い込みの強さがお土地柄という感じなんだと思う。また、この思い込みの強さが名古屋という土地の産業を支えているのかもしれないから、一概にダメとも言えないことだと思う。独自性が製造業やサービス業などで発揮されるのは頼もしいとも思う。コインの裏表みたいな話かもしれない。

 

この主任の暴走を止めようと、園長に相談しても園長は主任の言いなりだった。社会福祉協議会も園長を信じていた。で、市役所に連絡すると、話は聞いてくれたけれど、そのあと、1ヶ月放置だった。そこで、僕が怒り読書。職員ハンドブックを熟読。障害者差別解消法や児童福祉法厚生労働省のコロナ対策ガイドラインやらなにやらを調べまくって、内閣府の方や、厚生労働省の方に質問したりして、僕の指摘が妥当かどうか精査してもらった。専門家にも相談して、データも手に入れた。市役所にバンバン送り続けた。半分くらいは無視する人たちだったけれども、中には親身になってくれる人もいた。

 

最終的には、担当課の課長が、「もう勘弁してください」と泣きを入れてきて、で、何をして欲しいんですか、と聞いてきた。僕の要望が伝わっていなかったのだ。恐ろしい。

 

要望を伝えた。「え、そんなことだったんですか?」と、課長がすぐに園長に「このくらいすぐできることだよね」というと、園長も「はい、すぐにやります」ということで終わった。肩透かしというか、なんだろう、こっちこそ、なんだったんだろう? という感じだった。

 

毎日、保育園を睥睨していた主任はその後、表に出てこなくなり、僕とは目を合わせないようにいつも、裏で何かの片付けや掃除をする人になった。感じの悪かった保育園も、主任がひっこんでから、挨拶や笑顔に溢れる保育園になった。主任は、その年度で異動となった。

 

現場の人もそうだし、市役所の担当もそうだけれども、最初にどんな人に会うかでずいぶん変わる。最初にいい人に会えると、保育園にしても、市役所にしても感謝しかない。育児は人の助けが必要だ。助けが必要だからこそ、助けてくれた人や場所に対しての感謝は忘れない。しかし、同時に、いい加減なことや、嘘や、いやがらせをされると、これはこれで忘れられない。助けを求めてきているという弱い立場の人につけこんじゃいけない。弱者への愛はいつも殺意が隠されていると書いた作家がいたけれども、そういうのは小説の中でだけ味わいたいものだと思った。