いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

待機児童に困る!<下>(自閉症児篇)<たった1人の対応が全てではないこと>

待機児童に困る!<中>(自閉症児篇)の続きになります。

 

日進市子ども課とのやりとりは、なかなかな人の存在で話し合いは平行線。いつもであれば、僕の言っていることがおかしいのかなとか思ってしまうけれども、名古屋市との戦いの経験から、僕はちょっと頑張れるようになっていた。何事も経験かもしれない。今回はどんな経験になるのだろうか。

 

困ったことがあった。

 

日進市を擁護すると、名古屋市で長女の合理的配慮をめぐってもめたとき、名古屋市の人たちは誰も応援してくれなかった。誰もというのは言いすぎた。保育士の方の1人からは応援してもらっていた。ただ名古屋市の組織の人たちは社会福祉協議会から市議、名古屋市役所の他の部署も含めて、数ヶ月間、ほとんど何もしてくれなかった。僕は詰将棋のように、一つ一つの条例やら、法律やら、名古屋市の職員ハンドブックやらを読んで、名古屋市に対して詰めていって、最後の最後にどうにか、ささやかな長女に対する合理的配慮が実現できた。余談だけれども、長女のささやかな合理的配慮を飲まなければならなくなった名古屋市の担当者が最後に僕に言ったのは、「え、これだけだったんですか?」というものだった。最初から、ずっと同じ要求をしていた。とてもささやかな要求だったにも関わらず、保育園は「こどもはみんな一緒」という方針で、ささやかな要求、つまり、発語ができない長女のために、排便の有無と昼食、昼寝の有無を毎日教えて欲しいという要求、言葉の認識が2年近く遅れているため、トイレなどの呼びかけはゆっくりと身振りや手振りも交えて何度かやって欲しいという要求。僕らの要求は主にこんなことだった。こんなことすら、なかなかやってもらえなかった。日進市の場合は、こういった現場での対応は簡単にやってくれるらしい。

 

日進市の子ども課でたいへんつらい思いをされてしまったかもしれませんが、日進市は現場では頑張っています。まだ市役所がおいついていない配慮なども現場では解決していることが多いんです。待機児童や別園に関してはファミリーサポートなどの支援しかありませんが、困っていることがあったら何でも言ってください。障害児、多胎児、そして兄弟児に対しての支援はしています!」

 

という心強い言葉をいただいたりもした。

 

拍子抜けな後日譚がある。

 

このあと、次女は待機児童ではなくなった。次女と三女を幼稚園に入れようかと面接の日程を決めているところに、電話がかかってきた。これは配慮された結果ではなく、たまたま辞退者が出たため、枠が空いたということだった。

 

待機児童ではなくなったけれども、長女と反対方向の保育園になる。別園だ。待機児童になることを思えば、比べられないくらいマシではあるけれども、保育園別園に3人となると結構きびしいものがある。何が厳しいのかというと、人の腕は2本しかない。ガッチリと手をつなげるのは2人が限界。また、自転車送迎の場合は、二人乗りが限界。リヤカーみたいなものを付ければいいのかもしれないけれど、子乗せ自転車に長女を乗せただけでも不安定になってしまう妻に運転はできないだろう。贅沢を言えば、歩いていけるところに3人とも通えるのがよかった、あるいは、別園でも同じ方向にある保育園に入れればまだよかった。第一希望と第二希望であれば、そうなっていた。車通りの少ない道はすでに調査済みだ。

 

しかし、障害児や多胎児、そして兄弟児への配慮が一切ない日進市の子ども課の判断では、3人全てが第一希望と第二希望には入ることができなかった。

 

子育ては、1人でも大変だ。もちろん、兄弟、姉妹でも大変だ。そして双子だけでも大変だと思う。障害児の育児も大変だし、みな大変な思いをして子育てをしているのだろう。障害児や双子を望んで授かった人は少ないと思うけれど、社会の環境によっては、望んでなかったなどとできるだけ思わないように子育てができたかもしれない。育児の困難さ大変さで溢れるブログやSNSの言葉の中で、障害児と多胎児の3人の幼児を育てる僕の声は消えてしまうだろう。僕ら夫婦にしても、1人目の育児のときには大変だと思っていた、とはいえ、やはり、1人と、3人では物理的な問題が全く違っている。こういったことを書くと嫌がられてしまうのだろうけど、三子以降に対する配慮は「みんな一緒」というわけにはいかないと思う。障害児や多胎児がいる場合はさらに「みんな一緒」というわけにいかないだろう。けれども、育児という困難さの中で、どんな状況や環境であっても、「みんな一緒」ということにされてしまう。それが公平で平等ということだと多くの人が信じている。

 

僕も子供の頃、小学校のクラスに、知的障害の同級生がいたときに、なぜ、この子は、僕や他の子と違って特別扱いされているのだろうかと疑問だった。公平じゃない、平等じゃないと思ったことがある。でも、それはあくまで、僕が小学生の頃の話だ。まだ世間を知らず、多くの困難が世の中にあることを知らなかった頃、つまり、自分のことしか知ろうとしなかった頃、言ってしまえば、優しさなるものがまだ育めていなかった頃の話だ。

 

いい歳した人たちを、僕の小学校時代と同じだなあと思うのは、なんだか人を見下しているようで申し訳ない気もするけれど、たまに、見下したくなるような気持ちになる人に会ってしまうことがある。そのとき、どうしたらいいのか僕は分かっていない。まだ修行が足りないのかもしれない。そういう人に対する優しさが僕にはまだ育っていない。そういう人に対する配慮も必要なのかもしれない。なかなか難しい問題だと思う。