いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

接遇に困る!<上>(自閉症児篇)<人に頼らないと育児はできない>

「人との出会いは運もある」(長女3歳10ヶ月、双子1歳9ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

育児をするようになってから、誰かの助けって必要なんだなあとしみじみ思うようになった。助けてもらえれば感謝するし、助けてもらえないと途方にくれる。

 

僕はもともと子供がいらないと思っていた。これもまたよくある話で、貧困家庭に育ったような人間は、子ども時代に恨みつらみばかりが増えて、お約束の「なんで産んだんだ」という問いを親にぶつけるのは当たり前で、生まれてきたからいやな思いをするのだから、最初から生まれなければよかった、などと雀百まで踊りを忘れずの例えじゃないが、大人になっても、子ども時代に思ったことを引きずっていたため、子どもを持つことに批判的な立場だった。

 

とはいえ、子どもを育てている人に、「なんで子供なんて産んだんだ」とかそんな無茶苦茶なことを言ったことはない。ただ僕自身が子どもを育てるということに対して、前向きになれないとかそういった程度の感じだった。

 

育児をするようになって思ったのは、急に、社会的弱者になったということだった。それまで、地域や市役所に助けてほしいなんて思ったこともなかったし、市役所などは何かの許可を取りに行ったり、手続きで行くところくらいにしか思っていなかった。地域の活動にしても何かの手伝いや、町内会費を払うだけで、そこで何かをして欲しいなんて思ったこともなかった。町内会なんて、家でも建てて、付近の草むしりとかが必要だと思わない限りは、なんであるのか分からない人も多いだろう。

 

家を買うにしても、育児にしても、リスクがあるものだ。リスクが弱みになるし、そのせいで、何かを頼らないといけないことになる。これだけ考えれば、家も子供もいらないのかもしれない。

 

しかし、人はパンのみに生きるにあらずじゃないけれど、人はコスパやリスク回避のみに生きるわけでもない。家を持ち、定住するからこそ、その地域をよくしようとか思ったり、市政が気になったりすることもある。家があると、おいそれと引っ越しができないのだから、いい加減には考えず、あれこれと自分以外のことも含めて考える。これが公共精神と呼べるものにまで育つかどうかは、その人が周囲の人をどれだけ笑顔にできるかにかかっている。

 

育児にしてもそんなところがある。子どもさえいなければ考えなかったことがたくさんある。授乳室やおむつ交換台にはじまり、託児施設やら保育園幼稚園。僕自身でいえば、嫌な思い出しかないような小学校にしても、あのときは無力な子どもとして小学校に関わったが、今は小学校の先生たちが繰り出す理不尽と戦える大人になっている。僕はねちっこい性格なので、今でも当時の小学校の先生に会ったらあのとき言われた言葉や、やられたことを責める気満々だ。20人近く先生がいたかもしれないけれど、楽しく思い出せる先生は2人しかいない。図工と理科の先生は好きだった。図工の先生はいつも絵の具で汚れたズボンを履いていて、理科の先生は薄汚れた白衣を着ていた。見た目は汚い2人だったけれど、僕には優しくしてくれた。毎日、顕微鏡を覗かせてくれたり、木工用の工具を触らせてくれたことをたまに思い出す。

 

小学生の僕は無力だった。親は放任主義というか、本人たちも貧しさによって疲弊して、日々、安焼酎を飲むくらいしか発散する方法がなかった。いま考えれば、うちの家庭は地域や行政からの助けが必要な家庭だったと思う。

 

先日、母親と話したときに、子供のとき市役所に相談したりしなかったの? と聞いたら、何もしなかったということだった。何もしなかったというよりも、何かをしてくれると思いもしなかったらしい。

 

子供の頃、団地の中でもとくに狭い団地に住んでいた。父親が長期入院したために緊急避難的に住んだ団地だった。その後、市役所からは何もなく、僕や弟が独立してから、「そこは単身者用の団地なので引っ越してください」と言われて、ファミリー用の団地に引っ越した。15年ほど、単身者用の緊急避難的に移転した団地に住んでいたことになる。今の僕だったら、きっと毎年のように行政と話し合っただろう。

 

行政はいろいろと考えてくれるところでもある。しかし、これも人によると言えば、運みたいな感じだ。公務員だって人間たちの組織だから、仕事熱心な人もいれば、サボりたい人もいる。いい人もいれば嫌な奴もいる。公務員採用試験で、いい人かどうかが基準になっていればまだ変わるかもしれないが、どんな人がいい人でどんな人がいやな人かはなかなか分かるものじゃないし、熱意があった人でも熱意を失うことだってある。

 

何かに困ってしまって、そのとき、熱意もあって良い人が担当者だったら、運がいい。上司の命令に絶対服従が義務付けられている公務員の場合は、そのいい人の上司もいい人である必要もあるのかもしれない。とにかく、そんな双子が生まれる確率のような感じのいい人に2人以上出会えていれば、行政は頼もしいだろう。この数年、子どものことで行政の人たちと話す機会が増えて思うのは、半分くらいはいい人で、もう半分はやる気がないか嫌な奴で構成されているんじゃないかということだった。もちろん、個人の感想だ。

 

接遇に困る!<中>(自閉症児篇)に続きます。