いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

上機嫌に困る!<上>(自閉症児篇)<上機嫌と多感>

「何かの前兆なのか?」(長女5歳3ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女は自閉症だ。自閉症でなくても環境の変化はストレスを感じるけれども、自閉症児の場合はストレスの発散の仕方がうまくいかないのか、ちょっと変な感じになってしまうことがある。

 

大人だって引っ越しはストレスだし、環境の変化で鬱になる人もいるだろう。僕も環境の変化は苦手だし、引越の数ヶ月前から軽い不眠になっている。まあ、僕も自閉症なのだから、例をしてはふさわしくないかもしれない。

 

一般的には、幼児や子供は環境の変化に弱いとされているらしく、保育園であれば、慣らし保育、慣れ保育と呼ばれる配慮がある。この慣れ保育は保護者にとってはたまったもんじゃないというのは何回も書いたけれども、うちの場合は、長女で、4回目の慣れ保育、次女三女は2回目の慣れ保育ということで、保護者は慣れ保育に慣れてしまって、引越しの後の忙しい時期に慣れ保育で早めにお迎えに行って、そのまま市役所などの転入手続きなりなんなり、必要なところに子供を連れて行ったりして、僕は僕で慣れ保育期間を計算に入れて動いている。

 

しかし、この慣れ保育というのは一体なんだろう。乳幼児にストレスがかかり、乳幼児突然死症候群みたいなものを予防するということなんだろうけれど、年長さんにも必要なのかちょっと分からない。長女のように配慮が必要な自閉症児には慣れ保育が必要のように思えるけれど、長女の場合は、一週間やそこらで<慣れる>かというと、ちょっと<慣れ>の感覚が違っているようにも思える。

 

引越と保育園の転園に慣れた僕らは、長女に対しても引越しの数ヶ月前から、新しい環境の下見にちょくちょく連れていったり、写真を見せたり、新しい保育園の話をしたり、引越先で機嫌がよくなるように新しい服や靴を買ったりして、長女にとって楽しく、安心できる引っ越しにしようとしていた。

 

その甲斐があったのかどうなのか分からないけれど、年末あたりから長女の機嫌がとてもよくなった。

 

機嫌がいいなら、それにこしたことはない。僕らは長女がパニックなどにならないように、長女の機嫌ばかりとっていたのだから、うまくやったということなのかもしれない。

 

それにしても、機嫌がよすぎる。楽しそうでなによりなんだけれども、この機嫌の良さは、少しおかしいんじゃないか、と引越1ヶ月くらい前に妻と話していた。

 

機嫌が良いことと同時に、いつもより敏感になってしまって、ちょっとでも僕が長女を注意するとしゃっくりあげるようになってしまった。軽く叱っても泣かれてしまう。しかし、叱らない育児というのに僕は懐疑的なので、叱らない育児というのはしたくないし、あれはあれで問題があるように思う。

 

子供の頃、一つ下の弟と、そして団地の子供たちに囲まれて育っていた僕は、親から怒鳴られ、殴られ、近所の人から叱られるというのは当たり前だった。いつでも怒鳴り声と体罰があった。それがいいことだったとは思わないけれども、そんな団地の子の僕らからすると、箱入りみたいな感じで、叱られずに育ってきた子供に会うと、ちょっとどうしたらいいのか分からなかった。大人になってからも、そういう親に叱られたことがないというお育ちのいい人に会うことがあるけれども、妙に繊細で付き合いにくい感じがする。

 

そんなことから、適度に叱る、ということをやりたいと思っている。人の家の冷蔵庫を勝手に開けるような子になってほしくない。人の家で自分が食べたり飲んだりした物を片付けないでそのまましたり、トイレを汚した時に掃除しない人になってほしくない。食べこぼしたら自分で拭いたりするようになって欲しいと思う。あと、困っている人がいたら率先して助けられるようになって欲しいし、ダメなことにはダメと言えるようになってほしい。困っている人を助けたり、ダメなことをダメだと言っている人と一緒にいながら、あとになって、「俺もそう思ってたんだ」とかいう人にはなってほしくない。心で思っているだけの人でなく、きちんと動ける人になって欲しいと思っている。話がずれてしまった。

 

長女の上機嫌は、ある種の多感さの裏返しなのだろう。

 

保育園の劇でも、一生懸命にやっていた。歌も率先して大声で歌って、長女の声がよく聞こえた。一年前は長女の歌声は聞こえなかったし、他の友達に手を引かれながら移動していたのに、まるで別人のようにテキパキと動いていた。僕も妻も長女のそんな姿を見ながら涙を流してしまった。

 

長女を見ていると、みんなと違ったっていいじゃないか、と日頃から思うけれども、みんなと同じことができるようになるというのも大事なことに思う。少なくとも、長女は以前のようにみんなと同じことができないことで、悲しくなって泣いていることはなくなった。

 

そういえば、運動会では、練習をしたにもかかわらず、何をやるのかあまり理解できなかったみたいで、ぼんやりしていた。長女のクラスには長女の他に2名ほど配慮が必要な友達がいるようで、運動会の日は、加配の先生も担任の先生もそちらの2人の世話で、長女は放置になっていたようだった。後日、担任の先生から謝罪された。ちなみに、長女のクラスで加配申請や療育に通っているのは長女だけだ。この辺は難しい問題だ。小学校にあがる前までは、自分の子供に発達障害自閉症、知的障害の傾向があっても、そのまま放置してしまうことがある。これはこれで気持ちも分かるし、保護者の環境と心や考え方の問題なのだから、親しい友人であっても何て言ったらいいのか分からない。ほんと、難しい。

 

さて、みんなと一緒に劇をやりとげた長女。劇の後も余韻さめらやらぬ上機嫌。家でも機嫌良く再演してくれたのだけれども、僕や妻が次女や三女の世話をしていると泣くようになってしまった。

 

次女や三女も引越や環境の変化に対して、心の準備をさせないといけないと思って、長女ほどじゃないけれど、新しい環境の下見や、次女三女の気持ちを盛り上げるために、引越前は楽しませようとしていた。長女はそれが気に入らないらしい。

 

長女としては、次女三女は引越して欲しくないようだった。では、次女三女はどうしたらいいの? と聞くと、「パパと一緒にお留守番」ということだった。妻と長女2人で引越したいらしい。僕は僕でちょっとしょんぼりだ。

 

上機嫌に困る!<下>(自閉症児篇)に続きます。