いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

付き添いに困る!(自閉症児篇)<長女の自立と僕の耳>

「僕は僕で聴覚過敏だったりする」(長女4歳6ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女が一年くらい通っている療育がある。そこはアート系の療育で、長女はいつも楽しみにしている。そこに行っているからなのか分からないけれども、いろいろなことで発達の遅れがある長女は、お絵かきや色塗り、色の認識は保育園で見物人が出るようで、保育士の方たちからもよく褒められている。

 

自閉症だったりすると、やっぱりそっちの才能が? みたいな反応もあって、なんて言っていいのか分からなくなる。

 

好きこそものの上手なれみたいなもので、発語が遅れていた長女には言葉以外のアプローチが多かったし、長女も絵や色の方が言語認識よりも使うことが多かったから、自然と、人よりも得意になっていったのかもしれない。

 

と、若干、親バカを隠すように思うようにしている。本当のところ、うちの子は天才なんじゃないかと思うこともある。

 

まだ自分の名前も言えなかった頃、発達障害の病院の待合室にあった絵画の巨匠たちの絵本が好きだった。特にゴーギャンの絵が好きだったみたいで、妻がゴーギャンの絵本ねという感じで何度も言っていたら、「ゴーギャン」と変なアクセントで言うことがあった。

 

冗談のように「お名前は?」と聞くと、長女は「ゴーギャン」と答えることがあった。

 

いまは、ゴーギャンはあまり好きじゃないらしい。

 

そんな長女の才能というか、親のあれな感じで、長女にはアートの療育を探した。東京にいたときにも、療育ではよくお絵描きをしていたというのもある。

 

アートの療育で長女はお絵描き以外にも、工作をするようになったりしたし、絵の具を使って色を作ることも覚えてきた。絵で描いたものを粘土で作るようになったりして、療育の先生たちも褒めてくれるものだから、楽しく通っている。

 

長女が描いた絵や作った物は家の中に飾っているけれども、たまに長女が気に食わなくなったものがあるのか、絵を剥がして破いてしまったり、紙粘土で作った人形をバラバラにしてしまうことがある。なかなか気難しいアーティストだ。

 

長女の療育はいつも僕が付き添っている。多くの子たちは、保護者は送り迎えだけなんだけれども、長女の場合は僕がいないとダメなようで、長女の隣に座って彼女の創作をずっと見ている。それはそれで楽しい。

 

しかし、他の子が僕のことを気にしている感じもある。なんだか申し訳ない。試しに、何度か長女だけにしようとしたけれど、長女が泣き出してしまったりするものだから、いつしか慣例のように僕もいるようになってしまった。

 

たまにアートの先生たちと話すのも楽しいというものあって、この居心地の良い場所の一員のように僕もいた。

 

新しい子と新しい先生がやってきた。

 

新しい子は、突然、大きな声で話してしまうタイプの子だった。そして、新しい先生も大きな声で話すタイプの人だった。

 

僕は大きな声が苦手だ。大きな音が苦手というよりも、人の大きな声が苦手だ。不思議なことに、怒っている人の怒鳴り声とかは平気だったりする。普通の会話内容で声が大きいのが苦手なんだ。酔っ払いの大きな声は平気だったりするから自分でも不思議だ。

 

長女はどうなのかと思ってみていると、創作に熱中して気にもしていないようだった。

 

なぜ、僕は大きな声が苦手なんだろう。子供の抑制の効かない大きな声も、酔っ払いの抑制の効かない大きな声も同じようなものだと自分でも思うけれども、なぜか子供の抑制の効かない大きな声は苦手だ。泣き声も苦手だ。

 

しかし、ここは療育の場所だ。子供の大きな声は仕方ない。それは起こりうる声だ。泣き声だって当たり前だ。それに泣き声は流石に乳児を3人育てて慣れた部分もある。僕にとって難しいのは先生の大きな声だった。

 

その人は怒っているわけじゃない。親切に子供に何かを教えているのだけれども大きな声だ。1時間もその場にいると僕はクラクラしてしまって、気持ち悪くなってしまった。しかし、大きな声が苦手だったとしても、こんなに気持ち悪くなることなんてなかった。疲労が溜まっているのか、体調が悪いのかもしれないと思っていた。

 

2ヶ月くらい我慢して、耳栓も持参したりしたけれども、耳栓をする勇気がなかった。

 

しばらくすると、耳がとても痛くなって、耳垂れみたいなのが出てきた。耳鳴りもひどくなってきた。耳鼻科に行くと、鼓膜に穴が開いていると言われた。医者曰く、結構前から穴が空いていたと思うということだった。だから、いつもよりも大声がきつかったのだろう。

 

困った。

 

長女のアート療育の日の前に、長女に一人でアートできるか聞いてみた。嫌だと言われた。僕の耳が痛いこと、鼓膜に穴が開いていることを何度も説明した。それでも嫌だと言われた。

 

仕方ないと覚悟して、アート療育に長女といった。いざ療育の場所に行ってみると、長女はすぐに絵を描き始めた。僕が出て行ってあとで迎えにくることを長女にいうと、僕を見ずに「いいよ」と言ってくれた。意外と簡単に一人療育ができた。怪我の功名だ。

 

それからは、他の保護者と同じように送り迎えだけをするようになった。アートの先生たちが長女の創作をどうフォローしているのかという勉強はできなくなったけれども、お迎えに行ったときに得意そうに創作物を見せてくれる長女の笑顔もまたいいものだ。