いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

救急車に困る!<上>(主夫篇)<3回目の救急車は次女だったこと>

「名古屋に引っ越してきてから3回目の救急車」

 

困ったことがあった。

 

救急車を呼んだことがあるという人はどれくらいいるだろう。僕は、名古屋に引っ越してくるまで一度も呼んだことがなかった。

 

僕が、3歳か4歳の頃、我が家で大変なことが起きてしまって、母親が救急車を呼んだことがある。記憶はほとんどないが、倒れた父親が運ばれていったのはなんとなく覚えている。隣の家が美容室で、ときどき僕ら兄弟は美容室に預けられることがあった。その日は、美容室のおばちゃんと一緒に、救急車を見送った。そのことは覚えている。美容室のおばちゃんと言ったけれども、もしかしたら今の僕より若い人だったかもしれない。お姉さんだったような気もする。

 

その日の夜に母親が戻ってきて、畳に出来た血溜まりを拭いたことを覚えている。畳が汚くなっちゃったと僕が言うと母親が泣いていた。

 

父は奇跡的に助かった。助かったけれども、しばらくは入院になり、日銭家業だったうちはそこから借金生活になって、大変なことのあった借家から出て団地に引っ越した。美容室のお姉さんはどうしているだろう。父が入院していたからだと思うけれども、僕ら兄弟はいろんなお家のお世話になっていた。みんなどうしているのだろう。何軒かの家を覚えている。

 

僕の救急車の記憶はこれくらいだった。

 

ボストンに住んでいるときに、救急車を見ると、プロフェッショナル・アンビュランスと書いてあった。アマチュアのアンビュランスもあるのかな? と不思議に思った。

 

名古屋に来て、長女と同じ保育園に通う子の家族と仲が良くなった。その家族はインドから来た人たちで、保育園の案内などにある日本語が分からないのでよく聞いてきた。ちょっと天然な感じのお母さんなので、保育園から日本語で説明されて理解できてないのに、OKOKってやってから、僕らに聞きに来る。話はズレるけれども、そんな彼らのために、保育園で困っていることなどを調査するアンケートを英語でもやろうという提案もした。だけど、インドの家族の人たちは日頃よく困って僕らに聞いてくるのに、アンケートには何も答えなかった。保育園は、彼らは困っていない、と思っている。

 

そんな彼らから深夜の0時に連絡があった。お子さんが腹痛で苦しんでいるから救急車を呼んで欲しいということだった。僕が救急車を呼んで、救急隊への説明や、救急車内での症状などの通訳をやった。救急隊員からはなぜか「先生」と呼ばれていた。

 

人生ではじめて救急車を呼んだなあ、とか思っていた。

 

そのひと月後、また救急車を呼んだ。双子を連れて買い物に行こうとすると、若者3人くらいが何やら苦しむ症状をしたりしてふざけていた、「救急車ー」とか言いながら笑っていた。なんのことだろうと、彼らが来た道に曲がると、おじさんが倒れていた。60歳代のおじさんだ。おじさんの年齢を知っているのは、おじさんに聞いたからだった。

 

おじさんが倒れている、と思った。酔っ払いかもしれないとも思った。上野あたりだとこういうおじさんはいる。おじさんは飲食店の前で倒れていた。お店は開いているけど、店員さんは出てこない。

 

「救急車を呼んでください」

 

おじさんから言われた。お腹が痛くて倒れていたということだった。お酒臭くもなかったし、ふざけているようにも見えなかったから、救急車を呼んだ。脂汗をかいていたから、相当痛いのかもしれない。

 

救急隊員からあれこれと電話口で聞かれた。僕に答えられることはわずかだ。そのときは引っ越してきたばかりということもあって、倒れている場所を伝えるだけでも大変だった。何人かが道の向こうから見ていたり、僕とおじさんをジロジロ見ながら通り過ぎていった。あの若者3人が真似をしていたのは、このおじさんのことだった。ジロジロ見ている人たちにも腹が立ってきた。そして店の人が出て来ないのはどういうわけだろうか。この街はやべえって思った。

 

救急車が来て、またいろいろと聞かれた。知り合いでもなんでもないから答えられることはあまりない。どんなふうにお腹が痛いのか、いつから痛いのか、何歳なのか、そんなことを聞かれた。救急車に乗って行くかも聞かれた。当時2歳になる前の双子を連れていている僕になぜ聞いたのか不明だった。もちろん、乗らなかった。

 

救急車が去っていくと、一人の女性が話しかけてきた。「何かあったんですか?」なぜ聞いてきたんだろう? 「知らないおじさんが道で倒れて助けを求めているのに、誰も助けなかったみたいです」、そして僕は余計なことを言った。「乳児の双子を連れている僕がなんで助けなきゃいけないんでしょうか?」ほんと余計な一言だ。こんなことを言ったのは、あの若者三人や、ジロジロ見ているだけの人たちに苛立っていたからであって、乳児を連れていようが、トイレに行きたかろうが、困っている人がいれば助けるのは当たり前のことだと思って僕は生きてきた。この街の生き方には合わないのかもしれないけれども。野次馬根性丸出しでわざわざ僕に聞いてきた人に嫌味が言いたくなっただけだった。

 

名古屋に来て、救急車を呼んだのはこの2回だった。

そして3回目があった。

 

今度は、次女だった。