いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

保育園の受け入れに困る!(自閉症児篇)<障害者差別解消法は役所もさして気にしない法律>

「障害児の保育は15時まで」(長女3歳5ヶ月、1歳4ヶ月双子)

 

困ったことがあった。

 

新しい環境になかなか馴染めない自閉症児の長女には申し訳ないけれど、妻の仕事の都合でまた引っ越すことになった。東京からボストン、また東京、そして名古屋。名古屋から先は引っ越しする予定もない。娘たちが大きくなるまでは引っ越さないでいようと妻とは話していた。そもそも僕は引っ越しが大嫌いだ。

 

名古屋で保育園を探すことになった。東京から電話で問い合わせると、面接は名古屋で行うということだった。東京名古屋間は近いは近いけど、乳幼児三人の移動は難しい。双子に関しては連れてくる必要はないということだった。障害児である長女だけ面接が必要になった。

 

妻と長女が一泊二日で面接に行った。役所にも提出書類などもあるので、少し大変ではあるけれども、妻にお願いした。僕は僕で双子のワンオペ育児、羽を伸ばして飲みに行くことなんてできない。

 

保育園の面接は僕が行ったわけではない。そのため、ここで書く話は妻から聞いた話だ。僕が体験したことではない。

 

いくつかの保育園に候補を絞って面接の申し込みをした。

 

最初に住む場所を決めて、その周辺の保育園を対象にしたということなんだけれども、保育園が多い場所を狙って住む場所も決めていた。

 

面接すらできない保育園もあった。電話で問い合わせたときに障害児であることを伝えると、それだけで断られたというものだ。障害者差別解消法というものがあるけれども、人手不足とかを理由に障害児の受け入れを拒否する保育園もある。

 

話は前後するけれども、僕の義妹や友人の保育士に話を聞いたことがある。障害児の場合は、親が加配申請などをしていたり、発達障害自閉症、軽度知的障害のように障害として見た目には分かりにくいものも診断を受けて、愛の手帳や愛護手帳などを交付されていると、保育園にも補助金が出たりするので、受け入れ拒否などはあまりないと思うと言われていた。

 

しかし、名古屋の保育園では電話で断られたりもする。最近、聞いた話でも、名古屋では障害児の入園問い合わせに関して電話で拒否する保育園は多いらしい。これは名古屋市だけの問題なのか、全国的な問題なのか分からないけど、少なくとも義妹が働いている東京や、友人が働いている神奈川や北陸での保育園の事情とは違っているようだ。

 

障害者の入園希望を電話で断る保育園は実在する。

 

これはこれで社会問題なのかもしれないが、子供の入園のために切羽詰まっている親に障害児の入園拒否を問題として社会に提起して、制度の改善や違法性を検証する余裕は正直なところない。ただ諦めて、他を探すことしかできない。何か違和感を感じてもしょうがないと諦めることが前に進むことだと思っているからだ。助けてくれる人なんていない。区議や市議も知らん顔なんだろう。

 

このときの僕らも入園拒否をする保育園のことを仕方ないことだと諦めて、他の保育園を探した。三つほど面接してくれるという保育園を見つけて喜んだくらいだ。

 

結果からすれば、三つのうち二つの保育園では朝から夕方まで預かってくれるということだった。そのうちの一つが家から最も近いということもあって、無事に保育園が見つかってよかったという話になる。よかった。ホッとした。

 

違和感を感じた保育園が一つあった。

 

その保育園も比較的家から近いということもあって第二候補にしていた。面接では障害児というだけで少し嫌な雰囲気で面接されたということだった。

 

「障害児は15時までしか預かれません」

 

妻も僕も在宅が多いとはいえフルタイムの仕事をしている。そのことは役所にも書類を提出して夕方までの保育の必要性を有していると認められている。

 

「夕方まで預かって欲しいんです」

 

「加配担当が15時までしかいないので、15時までしか預かれません」

 

保育園としてはそういう決まりなので、無理なものは無理ということだった。

 

保育園にも事情はあるのは分かる。しかし、この事情はいうなれば、障害児がいる家庭は、15時までしか働けないということを主張しているに等しい。

 

役所に聞いてみると、「障害児は15時までしか預かれないという保育園もあります」ということだった。問題とも思っていないらしい。

 

この頃の僕らは、障害者差別解消法のことも知らなかったし、社会的障壁や合理的配慮についてもまったく無知だった。しかし、役所の説明にしても、保育園の決まりにしても、違和感だけは覚えた。

 

子供の頃、近所に障害児がいた。年齢は僕より3歳くらい上だったと思う。僕は小学1年から2年くらいまで、その子とたまに遊んでいた。近所だったということもあるし、その子の家にはおもちゃもたくさんあったし、遊びに行くとジュースがもらえた。その子のお母さんはとても優しかったのを今でもよく覚えている。

 

思い出してみると、その子は知的障害だったのだろう。発語もほとんどなく、唸るような音を出してコミュニケーションをとっていた。僕はその子と妙に気が合ったので、どういう会話をしていたのかは思い出せないけど、2人でキャッキャと遊んでいた。

 

あるとき、僕の同級生などからその子と遊んでいることをからかわれるようになった。からかわれるのはまだいいとして、僕がいけないことをしているかのように近所で噂にもなっていたらしく、母からも注意をされた。

 

「なんで遊んじゃいけないの?」

 

「あなたいじめてるんでしょ?」

 

「いじめてないよ、もらったおもちゃも返したよ」

 

「いじめてると思われてるからダメ」

 

そんなことを話していたと思う。僕は子供の頃、言葉の発達がとても早く、口から生まれてきた、とよく言われていた。学校の先生からは生意気だと言われて、今考えても不当な扱いを受けることも多かった。そんなことはいい。

 

それから僕はその子とあまり遊ばなくなっていった。反抗心から何度か遊びに行ったけれども、遊んでいるときに、たまに意地悪をしてしまうこともあって、そういうときに、「僕はいじめているのかもしれない」と思うようにもなって、幼いながらに罪悪感を覚えてしまい、足が遠のいてしまった。そういえば、意地悪をした僕のことを、その子のお母さんは悲しそうに見ていたような気もする。それで「また遊んでね」と言われて、僕はいいことをした気になっていたような気もする。思い出すと、とてもつらい記憶だった。

 

その後も、その親子を見ることはあった。小学生くらいの頃は挨拶もしたけれど、だんだん気まずくなってきたのか、そのうち見かけても挨拶もしなくなった。高校生くらいになって、その親子を見かけると、隠れるように歩いていると思った。そのときにふと子供時代に遊んだことを思い出したりもしたけれども、僕も多感な時期でもあったので、挨拶すらできなかった。

 

障害児の親はなぜ、こうして隠れるように生きるようになってしまったのだろう。自分たちはちっとも悪いこともしていないのに、なぜ、こうなってしまうのだろう。僕にしたって、いや、僕のように、知っていながら無視している人に囲まれて生活しているから、そうなってしまうのかもしれない。僕はあの親子を疎ましいと思ったことはないけれど、疎ましいと思う人たちと同じ反応しかしなかった。

 

障害児を授かってみると、ついつい遠慮してしまうことも増える。遊んでもらえる、預かってもらえる、とまるで恩恵のように思ってしまう。当然のことを当然のこととして受け止められるようになること、そして権利として求めることを忘れてしまう。

 

世の中にはもっと大変な人がいる。そう言われることもある。もっと大変な人もいるけど、目の前にも困っている人がいる。目の前の困っている人を拒絶したり、無視したりすることが、もっと大変な人を救うことになるわけでもない。

 

小さな声だと気がつかれないなら、少し大きな声を出してみようと思った。