「共感されない長女の環境」(長女3歳10ヶ月)
困ったことがあった。
長女の合理的配慮をめぐって、保育園(担任、主任、園長)、社会福祉協議会、市役所に相談しても何もしてもらえず、ただ待たされるだけだった。市議からも連絡がなくなった。
僕らは見放されてしまったようだった。
僕には何人か新聞社に勤めている知り合いがいる。社会部の記者もいたけれども、僕個人の名前というか、関係性の中で彼らに、長女の問題を相談する気がおきなかった。長女のことならなんでもやるとか思いながら、自分のコネやツテを使って問題を大きくするのは何かおかしい気がした。
なんのツテもコネもない人が困ったときに、この社会は解決できるシステムになっているのだろうか? というのが、知らず知らず僕のテーマになっていた。主義みたいなものかもしれない。
保育園から市議に至るまで、誰もが連絡できるところでは解決しなかった。市議は議会がはじまるから議会が終わるまでは対応できないということだった。議会が終わっても電話ひとつない。金メダルをかじっているおじさんをかじったのなんだのと責め立てて、楽しそうに騒いでいる議会を僕は見ていた。僕にはどうでもよかった。消毒したり、凹んでいるなら直せばいいようにも思えた。金のシャチホコもかじったことがあるみたいだけれども、金に惹かれるのはご当地の天下人の一人でもある太閤好みなのかもしれない。
新聞社の友人たちは、正義感に溢れている人が多い。少なくとも、表面上は正義感に溢れているようにしている。実際には人事や金のことばかり考えているのかもしれないけれども、友人に対してすら、何らや公に責任を感じている仕事をしているという振る舞いをする。
新聞は「天下の公器」と言われたものだ。その自負心は悪いことでもない。実際にそうであればの話だけれども。
僕はそんな天下の公器を自称する新聞社を頼ることにした。まずはメールした。
すぐに返事が来た。やりとりが2回ほどあって、長女に起こっている問題や、保育園から市役所までの対応を説明した。すると、取材がしたいということだった。
取材の準備として、これまでのやり取りやメールをプリントアウトしておいた。また、ネットで調べたり、いろいろ聞いて知った障害者差別解消法についても印刷しておいた。
取材日当日、新聞社の受付でアポイントメントを確認すると、同じ苗字の記者が2人いたみたいで、少し手間取った。僕の風態がヘンテコだからなのか、スタジオジブリの人に間違えられた。
「ジブリの方ですよね?」
「え、なんですか? 取材の約束で来たんです」
「ジブリの方ですと、●●部になります。お約束のことを担当に連絡しますので、しばらくお待ちください」
こんな感じだった。
「いや、あ、ジブリの、スタジオジブリの人間ではありません、ジブリパークとはなんの関係もなく、障害児のことで、社会部の記者の方と約束しているんです」
「社会部の方でしたか」
と受付の方が確認してくれた。
「すぐ降りてきますのでしばらくお待ちください」
大きなロビーで待っていた。そして記者が来た。僕の風態に何やら驚いている感じだった。そんなにおかしな風態をしているのかな、と少し自分の姿が気になった。このときはきちんとお風呂にも入ってきたし、僕にしては落ち着いた格好、ジーンズに白いシャツだったから、変とまでは言われない格好だと思う。180cmに75kgなら大きいとはいえ驚かれる大きさでもない。でも、僕はよく見た目で驚かれる。文章などの感じと全然違うらしい。
そんな驚いた記者さんの横を歩いて、喫茶スペースに案内された。
長女の窮状と、保育園、市役所の対応の問題を再度お話しした。そして、僕の仕事や、妻の仕事、東京から引っ越してきたこと、その前にはアメリカにいたこと、双子がいること、今住んでいる間取りまで聞かれたので話した。
「え、4LDKなんですか?」
なにやら怪訝な反応だった。4LDKと言っても、僕の仕事部屋はエアコンもつけられない、昔なら納戸と言われた部屋だ。子供3人いて、家で仕事するならどうしても部屋数が必要になる。好きで4LDKにしたわけでもないし、子供が1人だったら2LDKのエアコン付きの部屋にしていただろう。
「保育園を選ぶのは大変ですよね。私もいま産後の時短勤務なんです。保育園はいくつも見学して選びました。もっと見学するべきだったかもしれませんよね。いまの保育園がいやなら転園するしかないですよ」
転園。家からすぐ近くに保育園があるのは恵まれていると思う。車もない名古屋初心者の僕らだ。1歳の双子も保育園に預けている私たちからすれば、子供3人の送迎が1回で済む徒歩5分の保育園はベストな保育園だ。しかし、転園となると送りで往復、迎えで往復、その往復の間にきっと3歳の長女を1人をお留守番させることになる。転園は僕らには無理な提案だ。
また東京から名古屋の保育園の見学に来たときに、他の保育園では自閉症児は15時30分までしか預れないとも言われていた。そんな僕らの事情を説明した。
「まあそれでも、いやなら転園をすすめます」
記者は途中から僕のことを嫌がっている感じだった。面倒臭そうにしていた。彼女からすれば、僕は生活困窮者でもなく、そこそこ余裕のある暮らしをしている。そこにがっかりした感じがあった。つまり、そんなに困っている人だと思われなかった。
もう一つは、自己責任論を彼女が信じていることも、取材が平行線になってしまった原因だ。記者からすれば、保育園をきちんと見学して検討しなかった方が悪いということみたいだ。
「私は保育園の懇談会で保護者の方全員と連絡先を交換して何か問題があったら共有して、みんなで解決できるようにしましたよ」
つまり、僕の努力不足ということだった。ちなみに、長女が通っている保育園ではコロナの影響で懇談会は開催されなかった。
「自閉症児育児や双子育児で大変だとは思うんですけど、記事にはできないと思います。あまりにも特殊な環境すぎて、記事にしても共感が得られないと思うので」
これが天下の公器か、と思った。共感をあおるだけの仕事だった。読者が同情できる問題や義憤に駆られるだろう問題だけを扱う、それが新聞記者らしい。
「それに、新聞で名古屋市や保育園のことを書いちゃうと、ジョウイゲダツになってしまうのでできないですね」
ジョウイゲダツには驚いた。きっと、上意下達(じょういかたつ)と言いたかったのだろうけれども、読み方も違うし、意味もきっと間違えて使っているのだろう。もし、意味を分かった上で使っているのだとしたら、新聞社は市役所の上部組織のように思っているということだ。天下の公器おそるべし。
ジョウイゲダツと発言した記者に僕も呆れてしまった。記者のくせに言葉の読みも意味も知らないのかということに呆れたというよりも、自己責任や傲慢な視点からしか世の中を見ることができない人だと思って呆れてしまった。
保育園、社会福祉協議会、市役所、市議、新聞記者と、僕が考える相談口は全滅だった。名古屋で相談できるところはなくなった。
次は、愛知県、中部なんとか、そして各省庁に連絡したことを書こうと思う。書いてみて思い出してきたのだけれど、新聞記者の取材のときには、保育園が僕のしつこさに負けて、長女の保育環境が少し改善され、オムツがパンパンにならないように気をつけてくれるようになり、お迎えの前に何度かトイレの意思を確認してくれるようになっていた。長女のおしっこ事情は改善していた。
そのことを記者に言うと「改善してきているなら、もう問題にする必要がないのでは? 新聞で取り上げてしまうと、長女さんへの対応がひどくなる可能性もありますから」
ということだった。なんてひどい見通しなのだろう。新聞で問題化されると対応がひどくなるってどういうことだろう。そんな場所なのだろうか、名古屋は。とか思った。