いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

療育に困る!(自閉症児篇)<療育にも合う合わないがある>

「療育の方針もいろいろ」(長女3歳)

 

困ったことがあった。

 

発達障害自閉症、知的障害、身体障害など、障害や症状に合わせて、いろいろな療育がある。どこの療育に通うか検討し、見学し、面接したりして療育に通う。

 

長女の場合は、自閉症と軽度知的障害と診断されており、特に発語や言語認識を中心に療育を受けることになった。

 

療育は各療育の方針や雰囲気でも結構変わってくる。

 

長女が最初に通った療育は、どちらかというと身体障害の子が多く言語のコミュニケーションができる子供が多かった。長女は言葉で何かを言われてしまうとパニックになってしまうことも多い時期だったので、慣れるまで少し荒れてしまうかもしれないという話を聞いていた。

 

最初は少し怯えながら療育に通っていた。長女からすれば何か分からないことをずっと言われている感じがするのだろう。大人だって言葉が通じない海外にポツンと1人でいると不安になる。僕もポーランドに1人でいたときには不安になった。ポーランド語で話しかけてくるおじさんたちといつの間にか仲良くなって一緒に飲んでいたけれども。そのとき僕はクロサワと呼ばれていた。日本人といえば黒澤明だからみたい。

 

長女はクロサワと呼ばれることもなく、ただ不安の中にいたのだろう。

 

しかし、療育の先生たちの献身的なケアによって、話せるようになるとまでいかなくても、少し言葉が認識できるようになってきた。名前を呼べば振り向くようになってきたし、療育から出るときには、バイバイとは言わないまでも手を振ることもできるようになってきた。

 

療育のおかげもあって、保育園でのトラブルも減ってきた。

 

「お父さんには、申し訳ないんですけど、僕の名前を呼んでくれたんです」

 

と、保育園の園長さんが嬉しそうにしていた。僕だって「ダダ」と呼ばれているから嫉妬はしなかった。

 

人の名前もぽつぽつと言うようになってきた。保育園の先生は2人ほど、小さい声で言うようになった。アンパンマンはアンパンパンで、ドキンちゃんもコキンちゃんも、ドッキン、だけれども、そんなことも言うようになった。

 

その療育ではトイトレもやってくれた。保育園でも療育と連動して、小まめにトイレへの促しをしてくれるようになり、家でも並行してトイトレを行なっていた。少しずつできるようになってきていた。保育園ではお漏らしすることも多かったけれど、保育士さんたちが献身的にやってくれていた。言葉で知らせることができないので、クレーン行動と、促したときに微かに頷くかどうかというのを見落とさずにトイレに連れていってくれていた。

 

トイトレに関しても、療育と保育園が連絡を取り合ってくれていた。とても助かった。

 

長女には視覚支援が必要だったので、何か変化があるときには写真にとって何度も何度も見せて、身振り手振りを交えながら教えていく。療育の先生が他の療育に移ることも、先生の写真を見せて、「バイバイだよ」とか「いないよ」などと、かんで含んで説明をする。

 

療育でもその辺のことはよくわかっているみたいで、先生の写真や部屋の写真を撮らせてくれた。個人情報の問題もあるので、療育に通う子供たちはもちろん撮らない。

 

東京での療育はこんな感じで、感謝しかない。長女もとても気に入っていたので、親の都合で退園するときには、僕も切ない気持ちになった。長女はもう、この療育に通うことができないことを理解できない。一年以上経った今でも、この療育と保育園のことを思い出すみたいで、「行きたい」と、当時は言えなかった療育や保育園の名前を出している。

 

名古屋に引っ越した。

 

名古屋では二箇所の療育に通うことになった。一つの療育は長女も気に入っている。そこに行くのが楽しみで、「明日、療育だよ」というと「やった〜」と喜んでいる。言語認識や発語は同世代と比べるとあれだけれども、一年前とは比べ物にならないくらい認識している。

 

もう一つの療育には行かなくなってしまった。

 

その療育に行こうとすると、僕の手を引いて拒絶する。とても嫌がる。外に出るときには喜んでいたのに、療育の近くに行くと癇癪がはじまる。その療育ではずっと泣いていた。

 

そんなことからも、療育の目の前に言っても泣き止まないときは、無理矢理連れていくことはしないで帰宅することにしていた。

 

雨の日にその療育に連れていった。雨ということもあって、傘がおもしろかったのか、療育の近くまで行っても気がつかないようだった。もちろん、療育に行くことは説明しているし、分かった感じで着替えて出かけていた。

 

療育のドアを開けて中に入ると、長女が突然、シクシクと泣き出してしまった。「どうしたの?」と聞いても俯いて泣いている。「いやなの?」と聞くと、コクリと頷く、「帰りたいの?」と聞くと、コクリと頷く。

 

黙って帰るわけにも行かないので、入口ではあるけれども、誰も出て来なかったので電話して、欠席をすることと、入口にいることを伝えると、奥の方から足音が聞こえてきて、3,4人の先生が現れた。そして口々に、「大丈夫だよ」「怖くないよ」と長女を室内に促そうとしていた。長女はシクシク泣きから、パニックになって大声で泣き始めてしまった。

 

「すみません、パニックになっちゃったので帰ります」

 

と、僕は長女を抱っこして療育を後にした。

 

療育にもいろいろと方針があるのだろう。だから一概には言えないけれども、長女のようなタイプは突然現れた人や、矢継ぎ早に言葉をかけられたり、数人に近寄られるだけでパニックになりやすい。東京の療育でもそのことは気をつけてくれていたし、名古屋でももう一つの療育もできるだけ距離をもって、ゆっくりやさしく声をかけてくれる。

 

この療育は長女には合わないのだろう。長女はきっとこの距離の近さや言葉の速さが怖かったんだろうということが分かったということもあって、その日、退所の手続きをした。

 

自閉症児は突然話しかけられたりすることでパニックになる。外を歩いているときに悪気はなく長女の頭を撫でようとしてくる人もいるし、近寄ってきて話しかけてくれる人もいる。そしてパニックになることもある。悪気はないんだろうけれども、なんて言えばいいのかといつも困る。