「言語認識が遅れていると何度言えばいいんだろう」(長女3歳9ヶ月)
困ったことがあった。
長女は自閉症と軽度知的障害と診断されている。どちらも見ただけでは、定型発達の子供と区別はつかないものだ。障害者差別解消法のパンフレットなどにも、見た目に分かりにくい障害であることと、それに伴う必要な配慮について書いていたりする。
長女は加配保育を利用しているし、障害者手帳も持っている。保育園には見学のときから、障害児であるため配慮が必要になっていることを話してきた。何度も話した。配慮といっても大袈裟なことを求めているわけじゃない。言語認識が遅れているので、ゆっくり話してもらうとか、視覚支援をしてもらうとか、そんなよくある合理的配慮だった。トイレの促しにしても、みんなと同じように「トイレ行く?」と一回聞くのではなく、まず長女がおちついて何かを聞かれているということが分かった感じになってから、ゆっくりと聞くしかない。
子供たちは、「トイレ行く?」とか「おしっこする?」とか聞いても、遊んでいたりすれば、「いかない」「やだ」とか言ってしまうこともあるだろう。定型発達でもそういうことはあると思う。ここでまた障害児をつまずかせる「よくあること」「みんな一緒」が発動されてしまうと、毎日のようにお漏らしをする3歳9ヶ月が誕生する。これもよくあることなのだろうか。毎日、お昼寝でお漏らしをして、毎日、保育園の帰りにもお漏らしをして、玄関で泣きながらおもらしをしてしまうことも「よくあること」なのだろうか。
「お昼寝前に、トイレの促しをしてもトイレに行かなかったら、オムツにしてください」
とお願いした。
オムツのままだと保育士さんも楽だったのか、そのうち、夕方のお迎えのときにはオムツをパンパンにしていることが増えた。
「お昼寝のときから夕刻までずっとオムツのままなんですか?」
と聞くと、次からはお迎え時にオムツであることはなくなったけれども、帰る時にお漏らししてしまう。
園長先生に話すことにした。
「トイレの促しはしていただけないのですか?」
「他の子と同じように定期的に聞いてます」
「どんな風に促してますか?」
「トイレ行く? おしっこ行く?って聞いてますよ。でも遊びに夢中になってるときなんかは行ってくれないんですよね。子供はみんなそうです」
「うちの子は、障害児で言語認識に問題があるって何度も言ってますよね。子供はみんな一緒という方針は結構ですが、配慮を求められている障害児に対して、子供はみんな一緒という対応はちょっと違うんじゃないですか?」
「特別扱いはできないので」
「障害児への配慮を特別扱いと考えているのですか?」
「子供はみんな一緒ですから」
「加配の先生は何をしているんですか?」
「クラス全体のフォローをしているので、お子さん一人のためだけというわけには」
「うちが加配申請しているんですよね?」
「加配申請3人に1人の加配担当になりますので、3人かもしれません」
「実際、このクラスで加配児童はうちの子以外にいるんですか?」
「それは個人情報なので言えません」
と、こんな不毛なやり取りに疲れてしまって僕は起こってしまった。降園時間の真っ只中だった。「子供はみんな一緒ということで、障害児への配慮を全くしない。加配についてもろくな説明もない。どういうことなんだ!」と怒鳴ってしまった。
そのとき、他の保護者の方たちがジロジロ見ていた。きっと、僕のことがモンペに見えているんだろう。のちに聞いたところ、「園長を怒鳴りつける保護者がいて、子供の教育上よくない」という意見が寄せられたそうだ。
障害児への配慮が全くされない保育園に呆れてしまって、話し合いはもうできないと思った。
おむつをパンパンにしたまま夕方を迎える娘。パンツのときには帰りに泣きながら漏らしてしまう娘。視覚支援の用意をして、それを渡しても使ってもくれない保育園。言語認識に障害があるため、昼食の有無、トイレの有無だけでも毎日連絡帳に書いて欲しいと再三お願いしても、連絡帳は18人の園児を順繰りに一回しか書かないので、18日に1回しか書けないという保育園。
ちなみに、加配に関しては、クラスで長女一人だけだった。加配保育は加配児童三人につき一人の加配担当をおくという話はいったいなんだったんだろう。現状では、長女一人しか加配児童はいなかったのだから、現状のことを聞いているのに制度を盾にして合理的配慮をただ怠っていたというだけだ。名古屋ではこういうことがよくある。
保育園のしおりや重要事項説明書には、保育園への苦情は社会福祉協議会に連絡するようにと書いてあったので、社会福祉協議会に連絡することにした。