いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

救急車に困る!<下>(主夫篇)<熱性痙攣は救急車を呼んでいいと思う>

救急車に困る!<上>のつづきです。次女のために救急車を呼びました。

 

困ったことがあった。

 

今から考えれば、救急車を呼ぶべきだったのか分からない。救急車は緊急性の高い人が利用するものだと思うし、救急外来にしても僕はほとんど利用しない。子供が高熱を出したとしても一晩は様子を見るし、僕自身で言えば、胃痙攣でのたうち回ってときも、骨折したときも、鼓膜に穴が空いたときも救急外来を利用しようと思ったことはない。

 

子供はよく熱を出す。一晩寝てよくなることもあるし、よくならなければ、翌日に病院に連れていったりする。緊急性があるのかないのかは、医者ではない僕には分からないけれども、多くの人が当たり前にやっているような経験を元にして、緊急性があるかどうかの判断をしている。もし、この判断を間違えて手遅れになってしまったら、一生後悔するのかもしれないけれども、こういう選択は育児につきまとっている。一生後悔するくらいなら、救急外来に行くべきかもしれないし、救急車を呼んでもいいのかもしれない、と思う気持ちはよく分かるけど、同時に、もし緊急性がないにも関わらず救急車を呼んでしまって、他に救急車を必要としている人が利用できないのだとしたら、それはそれで後悔する。ただ、他の緊急性のある人が見えないもんだから、後悔する機会や反省する契機もないだけなのだろう。

 

次女が発熱した。38度だった。まだ大丈夫だろうということで、お茶を飲ませていた。解熱剤を使うか迷うところだ。僕と妻が次女を世話していると、長女と三女がヤキモチを焼いていた。ちょっと微笑ましいくらいの光景だった。

 

すると、次女が吐いてしまった。僕と妻はあたふたとしながら、吐瀉物の処理や、次女を拭いたりしていた。長女が「ずるいー」とか言うものだから、長女を叱りつけてしまった。

 

次女の熱を測ると39度になっていた。横にさせていると、ちょっと落ち着いてきた。口をぱくぱくやっているので、またお茶をあげた。ご飯前だったということもあって、チューブ式のゼリーをあげてみた。次女が好きなすみっコぐらしのゼリーだった。次女はいつもならすぐに飲み終えてしまうのに、少しずつ飲んでいた。飲みにくいみたいだったので、背もたれのある低い椅子に座るとおとなしくちゅーちゅーと吸っていた。

 

もしかしたら熱中症かもしれないと思って、粉のポカリスエットを水で溶かしていた。すると、妻がわーっと言った。

 

次女が椅子から崩れ落ちて、激しく痙攣していた。

 

「発熱痙攣だ」と妻が言った。

 

両手足から体、目もぐるぐると動き回っている。異常な状態だ。恐ろしくなった。次女はいつも道化役みたいになって、変なダンスや変な表情をして、三女を笑わせている。痙攣する三女を見ながら次女がいつもの道化だと思って笑っていた。若者三人組を思い出してちょっとイラついたけれど、三女はまだ2歳。よく分からないんだろう。

 

床に体や頭を打ち付けたら危ないので、すぐに次女を抱っこして、妻に救急車を呼ぶようにお願いした。どうしたらいいのかは救急の人に教えてもらおう。普段は冷静な妻だけれど、こういうときにはやっぱり慌てている。口の横をどこかにぶつけたのか赤くなっていた。妻は住所は言えたけれども、肝心の症状や経緯、現在の状態を説明できなかった。

 

救急車を呼ぶ経験というのがある。電話口で意外と細かく説明しなければならない。救急車を二度呼んだことのある僕は、妻が電話口で何を言われているのかが分かった。

 

「発熱後、嘔吐、その後落ち着くも、39度まで発熱。ゼリーを少し食べた後に、背の低い椅子から転倒し、全身痙攣。目は上下左右に動いている。救急電話の途中で痙攣は治った。痙攣ははじめて。」と妻と電話の向こうにも聞こえるような声で羅列した。妻は冷静になっていたので、救急から聞き直されていることを補足していた。

 

そして妻と僕で入院の準備をした。

 

妻はすっかり冷静になっていた。

 

「発熱痙攣って、子供がたまになるみたいで、すぐにおさまる場合は様子見でもいいみたいだよ」

 

冷静になる速度が早い。僕は冷静を装っていたけれども、本当は大慌てで、次女の痙攣がショックだった。死んでしまったらどうしよう、とそればかり考えていた。パニックだった。落ち着いている次女を何度も抱きしめた。

 

サイレンが聞こえてきた。玄関から階段の踊り場に出ると、救急車が来ていた。もうすぐくる。次女をバスタオルで包んで、抱っこした。抱っこ紐だと苦しいかもしれないとか思った。

 

救急隊員が三人来た。

 

僕の荷物を持ってくれた。鍵を閉めようかどうかと迷っていたら、次女も抱っこしてくれた。妻がいるから鍵をしめようか迷うこともなかったのに、僕も慌てていた。

 

救急車に乗り込んで、同じ説明をした。コロナのことも聞かれた。6月と7月に自宅待機があって、僕は2ヶ月前の6月にコロナに感染していた。そのとき、家族全員も検査を受けたけれど、陽性だったのは僕だけだった。そして、次女の痙攣について話した。

 

救急隊員さんの説明によると、熱性痙攣かもしれないけど、コロナかもしれないのでちょっと検査もしてみましょうということだった。コロナが蔓延しているので、病院はなかなか見つからないかもということだった。2件目の病院が受け入れてくれた。

 

病院に移動するときに次女がまた吐いた。そして僕を探していた。手を握って足をさすっていた。

 

病院でも吐いた。次女の髪は吐瀉物で汚れている。胃液のにおいがした。医者からは、長女や三女も痙攣を起こすか聞かれた。次女がはじめてだった。僕や妻は子供の頃に痙攣したかと聞かれた。僕はよく痙攣して泡吹いて倒れている子供だった。また僕の悪いところが遺伝してしまったのか、と思った。長女の自閉症に続いて、次女には僕の癲癇みたいなのが遺伝してしまったか、と申し訳なくなってしまった。やっぱり僕みたいな人間は結婚すべきじゃないのかもしれないし、子供を作っちゃいけなかったんだ、と次女が苦しむ姿を見ながら思ってしまった。しかし、僕と妻が結婚して、子供を作らなかったら、この目の前にいる次女は存在しなかったんじゃないか、それはもっと寂しいことだ。遺伝で苦労させてしまっているかもしれないけれども、存在しないことなんてもっと考えたくない、とか、もうパニックすぎた。

 

コロナの検査は陰性だった。

 

痙攣を抑える薬を運んでくる、と言われた。どこから運んでくるんだろう。その間、僕は次女と二人きりだった。看護師さんから熱いおしぼりを渡されて、次女の髪を拭くように言われた。一生懸命、次女の髪を拭いた。首の付け根あたりから側頭部、ゆっくり丁寧に髪を拭いた。髪を拭いていたら、やっと僕も落ち着いていた。

 

病院で書かされた書類で、日付を入れるとき、「8」が書けないくらい慌てていた僕も落ち着いた。

 

痙攣を抑える薬が届いた。座薬だった。そして30分したら解熱剤を入れるということだった。それも座薬だった。なんだかんだと2時間近く経った。

 

次女は急性胃腸炎かもしれないということだった。熱性痙攣は様子見で済むこともあるけれども危険なこともあるということだった。24時間以内にまた痙攣をしたら、すぐに病院に来るように言われた。痙攣を抑える薬は、8時間後にまた使用するようにと言われた。

 

「えっと、8時間後ですから、3時30分ですね」と医者は言いながら、3時と言ったときに、ちょっと笑っていた。乳児や幼児を育児している者にとって、3時や4時に子供を面倒を見るなんてのは、なんのハードルでもない。3時間おきにミルクをあげてたんだ。

 

治療が終わって、受付で待っていると、元気そうなおじさんが「タクシーを呼んだんだ」と言いながら、受付やら警備員さんやらに絡んで、歩き回っていた。ぐったりしていた次女が小さい声で何かを言っていた。「くつ、くつ、はきたい」

 

次女は靴が好きだ。外に出たら靴を履きたいというだろうと思って、靴も持ってきていた。試しに履かせてみると「おりたい」と小さい声で言った。ちょっと心配だったけれど、知らない場所を歩きたいんだろうと思って立たせてみると、ふらふらだった。手を繋いで2歩ほど歩くと、僕に抱きついてきた。それからはずっと抱っこしていた。

 

無料の会計も終わり、薬ももらって、タクシーを呼んだ。ぐったりしている次女を見ているおばあさんが、「寝ている子供が一番可愛い」と言っていた。僕も普段はそう思うけど、ぐったりしている次女を見ていると、元気にイタズラをしている子供の方が可愛いと思った。

 

タクシーが来た。とても気さくな運転手さんだった。ものすごいおしゃべりな方だった。

 

「救急車を気軽に呼んじゃだめとかいいますけど、いまはタクシーで泥酔して起きないお客さんがいるときに、警察を呼んじゃいけないことになっているんですよね、その代わりに救急車を呼ぶんです。おかしいですよね。緊急の患者さんもいるのに、救急車を呼ぶことになっちゃってるんですよ。急性アルコール中毒の方もいるかもしれないからなんですけど、酔っ払いの対処のときに救急車を呼ぶことに罪悪感があるんですよ」

 

熱性痙攣のときに、救急車を呼ぶか呼ばないか迷ってしまうかもしれないけれど、はじめての痙攣でどうなるか分からないのだから、救急車を呼ぶことにためらわなくていいと励ましてもらった。酔っ払いで救急車を呼ぶよりマシということかもしれないし、よりマシ論で済ますことじゃないのかもしれないけれど、経験で判断できないときには、せめて救急隊員の判断は仰いだ方がいいと思った。