いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

卒パに困る!(ボストン篇)<6月は卒業パーティーだ>

「馬鹿騒ぎが好きな人たち」(長女1歳7ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

ボストンに来て、5月か6月あたりの頃、アパートの上も下も横も向かいも、やたら騒がしい時期があった。隣のアパートもパーティーが多くて、深夜3時くらいまで騒いでいることもよくあった。

 

アメリカはパーティー文化とはいえ、これは想像以上だ。幼児の育児をしているものからすれば、夜中に馬鹿騒ぎをされるのは迷惑と言えば迷惑だった。

 

最初の一年目は、長女もいつでも夜泣き状態ということもあって、周囲が馬鹿騒ぎしていても、こちらも始終泣いているのだから、階下からズンドンズンドンと響いてくる低音以外はそんなにストレスにならなかった。どちらかといえば、寂しい異国で子供を抱えながら過ごす夜中に馬鹿騒ぎしてもらって、こっちも気晴らしになった部分もあった。

 

馬鹿騒ぎもいつの間にか収まっていた。

 

「連日のパーティーはなんだったんだろうね」

 

と僕が聞くと、

 

「大学の卒業シーズンだからパーティーしているんだよ」

 

訳知り顔の妻が答えた。

 

5月だか6月がアメリカの卒業シーズンだ。日本に暮らしていると、ついつい卒業というと3月だと思ってしまうし、年度末の3月は卒業してからも忙しいシーズンだし、そのあとの4月の花見が年度の卒業式みたいな気持ちなってしまう。卒業シーズンなら仕方ない。卒業パーティーというのをやったことはないが、節目節目に馬鹿騒ぎしたくなるのは大事なことだと思う。

 

卒業パーティーの後、しばらくすると、パーティーをしていた住民たちはいなくなる。これもよくできたシステムのような気がする。あれだけ連日のパーティーだ、隣近所は迷惑だと思うのも当たり前だし、その後で円滑なご近所関係もできないだろう。飛ぶ鳥は後を思いっきり濁して飛び立つ。これがアメリカ流かもしれない。

 

僕らが住んでいた地域は大学がたくさんある。有名なハーバード大学やMIT、ボストン大学は自転車で行けばすぐだ。そしてアメリカの有名大学には世界中から人が集まってくる。みんな権威が欲しい。ドラマや映画だとその辺の大学の学生は天才ばかり集まっているように描かれているけど、実際にはあの手この手で入学している。どれも学費が異常に高い。天才が多いというより、裕福な家の子が多いということくらいだろう。あえばどの子も品のいい普通の青年たちだった。

 

階下の住人には何度か会ったことがある。女性が三人で住んでいた。長女を見ると、三人ともはしゃいでいた。長女は女子人気が高い。アパートでも「ビューティ」というあだ名が付けられていた。その三人の女性もパーティが終わると引っ越していった。隣の隣のパーティもなかなか派手だった。老朽化で耐久性に不安のあるベランダに大男が二、三人、何やら甘い匂いのする煙を出しながら、連日ビールを飲んでいた。ベランダにはビールサーバーがあった。彼らもいなくなった。彼らの後に入ってきたのはインド人で、朝の出勤時間に彼らのドアが開くと面白い。1人出て、2人で、3人、4人、5人、6人、次々に人が出てくる。6人目の人に「フィニッシュ?」と聞くと、満面の笑みで「イエス!」と言ってドアを閉めた。

 

パーティをして去っていく人々。学生の街ならではの風物詩かもしれない。

 

向かいの部屋は入れ替わりが激しかった。前の住民がパーティをしていなくなって、次に来たのは若いアジア人の女性だった。なんだか不思議な雰囲気の人で、いつもドアを開けっぱなしにしていた。何度か廊下で会ったことがある。3日くらいドアが空いたままのことがあって、何かあったのかな? と少し覗いてみたりもしたけど、静かだった。荷物はそのままで、人気がない。2人で暮らしていたと思うけど見かけなくなっていた。その部屋から大男が出てきた。荷物の整理をしているようだった。

 

そして次に住民が引っ越してきた。学生風の2人。入居したてだから、僕らよりも長く住むのだろうと思っていた。

 

次の年の5月か6月。例によって卒業シーズンの馬鹿騒ぎ。アパートの上やら斜めやらでパーティが開かれていたけど、前の年ほどじゃなかった。

 

その頃になると、長女は始終泣いているわけじゃないけど、夜泣きはまだ続いていた。夜中に泣いて起きてしまう。そして僕が1時間くらい抱っこしたりして、また眠りに入る。神経も過敏になってきていて、少しの物音で起きて泣いてしまう時期だった。そして訪れたパーティーシーズン。

 

昨年よりは静かだった。昨年が卒業パーティーの当たり年だったのかもしれない。卒業する住民がちょうど入れ替わったのかもしれない。素数蝉みたいなものだ。

 

うひょー、とか、きゃー、とか奇声が聞こえる。部屋の中のパーティーなら別に構わないが、エレベーターから降りてすぐに部屋に入らず、狭い廊下で飲んで騒いでいる。夜泣きで起きてしまった長女を抱っこしていた僕はイラッとした。部屋の中でやれと思った。

 

しばらく待ってみても、なかなか部屋に入らない。廊下で騒いでいる。すっかりアメリカに慣れてきた僕は、口汚い言葉をドア越しに浴びせかけた。それでも、うひょーとか言っている。

 

抱っこしていた長女を下ろして、ドアを開けた。5人くらいの青年が僕を見た。前の部屋に住んでいる住民は鍵が見つからないのかドアの前でガチャガチャやっている。酔いすぎだ。

 

「おい、ここは公共の場所だ、飲むなら部屋で飲め、小さい子供が起きて泣いてるだろ!」

 

娘はタイミング良く泣き出した。

 

5人の青年は日本だとオタクと言われそうな外見で、僕が出た瞬間に明らかにシュンとなってしまった。口々にソーリーとか言っていじけてしまった。鍵をガチャガチャやっていた住民もやっと鍵が開いたらしく、僕の方は見ないままドアを開けて、彼らを引き連れて入っていった。

 

シュンとしてしまった彼らに申し訳ない気持ちになった。向かいの部屋からは馬鹿騒ぎの音もまったく聞こえなかった。翌朝、妻に話した。

 

「あれはきっとMITだね、なんかかわいそうなことしちゃったよ」

 

アメリカだとあんまり頭ごなしに怒られることないからね、注意して何されるか分からないってのがあるから」

 

僕はちょっと危険なことをしていたみたいだ。イーストウッドなら怒鳴っていると思うけど、あれは映画の中のことか。